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子供の頃、お正月の朝起きてふすまを開けると、父と母が朝早くからおせち料理のしたくで台所に立っている背中が見えました。



まだ小学生だった私は1Fのポストから年賀状をもってきたり、ぎんなんを炒ったり、おもちを焼いたりする係でした。


お酒とうまいものが大好きな父が、お正月料理のなかでもっとも力をいれていた献立のひとつに「松前漬」というのがあります。地方によっては「まつま」と呼んだりもします。北の方にご親戚のいらっしゃるかたはご存知かもしれません。


材料は細切りにした昆布と、干しいかと、切干大根です。


乾燥しているものが市販されているので、最初にそれを水で戻し、昆布のねばりが出てきたら切干大根をまぜ、味付けは酒としょうゆでおこないます。シンプルなだけに、ちょっとしたさじ加減で味が変わるのがこの料理の特徴で、父の味を引きつぐため、今年は私が挑戦することにしました。


「ちょっとお醤油の味がきついかな?」と思ったらお酒をたし、


「あれ?今度は酒が多いな…」と思ったら、また醤油をたす・・といったあんばいです。


しかも時間が経つと、さっき感じた味とちがっていたりして、なかなか簡単には味が決まらないのです。


そこで母の助言により、冷蔵庫でいったんなじませたあと、最後にほんの少しのめんつゆで味を調えることにしました。


家庭によってはみりんを使うようですが、我が家はみりんの甘味をあまり好まないので、こういった方法をとっています。


そうそう、忘れてはいけない数の子も小さく切って混ぜます。


コリコリした食感が昆布のねばりとあいまって絶妙な味をうみだします。


私は毎年、父がつくるこの松前漬が大の好物でした。


父は「どうだ、うまいか?いい出来だろう。」といって、上機嫌でおとそを口にするのでした。


 


私は専門学校を出てから今の職場に出会うまでの間に、一度だけ社会の中での自分の在り方を見失った時期がありました。苦手なジャンルの部署に配属され、数字に追われながら四苦八苦し、結果を思うように出せない自分を限界まで追い詰めてしまったのです。

鬱屈した日々の中で段々と自分らしさを失い、両親にはものすごく心配をかけました。


その頃は、父とは別々に暮らしていて、たまにしか会うことがありませんでしたが、ある冬の寒い日、私がなかなか次の仕事を選ぶ決心がつかず、落ち込んでどうしようもなかった時、母と私を有楽町のガード下に連れて行ってくれました。


 


「どうだ。うまいだろ?お前は父さんの子だからこの味がわかるよな。


いいか、沙里。うまい酒の味がわかることも一つの能力なんだぞ。


お前は父さんとそっくりだから、今お前が抱えてる苦しみも父さんならよくわかる。


でもな、働いたあとに呑むのが本当は一番うまいんだ。


自分が何もできないと思うなら、とにかく汗を流せ。


他にいいことが見つからなくても、この一杯のために働いたっていいじゃないか。」


 


それは私にとって生涯忘れられない言葉になりました。


それから一度、英会話学校の仕事を通していろんなことを学び


しばらくして、ある本屋の支店オープニングスタッフの募集記事を見つけました。


「もうここしかないと思うよ。人間関係もゼロからのスタートだし、お前は本が好きなんでしょ?」


という母の一言におされ、それまで奥に閉じこもっていた生きる希望がうわっとあふれだし


履歴書の小さな志望動機の欄にはおさまりきれなくなって、


レポート用紙にめいっぱい自分の思いの丈を綴りました。


店長は思わぬ猛烈アピールに驚き、喜んで、すぐにお返事をくださいました。


 


こうして21歳の夏に新たなスタートを切りだし、


まだ何もないまっさらな棚にダンボール50箱分の本を1冊1冊、


自分たちの手でさしていきました。


研修の時、初めて気づいたのですが、そのお店の包装紙は


父が会社から帰ると、いつも手に持っていたブックカバーとおんなじ柄だったのです。



見た瞬間「あっ!」と、とても懐かしくなりました。


少しずつ仕事も軌道にのり始め、ようやく本当にお酒の味がわかるようになって間もなく

 

父が突然この世を去ったと、一本の電話で知らされました。



22歳の12月の夜、いつものように店を閉め、皆で帰ろうとしていた矢先の事でした。

  

  


小さい頃から私と一緒にお酒を呑むことを心待ちにしていた父と


ほんの少ししかその時間を共有することができず、本当に無念でした。


もっと教わりたかったことがたくさんありました。


おいしい肴の作り方…父から教わったのはたった一つ。それもごく簡単なものだけです。


だからこそ、今日の松前は何としてもおいしく作りたかった…


小さな父の遺影を食卓におき、記憶と勘をたよりに酒と醤油の瓶をかたむけました。


あの時、父はうしろで力を貸してくれたのでしょうか…


思った通りの味がだせました!母も喜んで褒めてくれました。


食卓には母特製のお雑煮の香りがたちこめて


私が赤ちゃんの頃、母の背中におぶさって「う、う!」と


指さしえらんだ、朱色のおとそが三つ並べられ、


今年も我が家のささやかなお正月を迎えることができました。





































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HN:
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性別:
女性
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1982/02/14
職業:
セレクトショップスタッフ
趣味:
ジョギング・写真      伝統芸能・祭・旅
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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