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以前から日本文化を海外の人に紹介することに興味をもっていた私ですが、漠然とイメージしているだけで、これまであまり具体的にそのことについてじっくり取り組んだりすることがなく、忙しさに流されてしまっているようなところがあり、将来に向けてしっかりとした骨組みを作ろうとはしていませんでした。


しかし、職場にいる同い年の留学生は毎日自分の内面と葛藤しながら、必死の思いで自己実現をしようとしていて、彼女の闘志あふれる言動を目の当たりにするたびに、私も今のままではいけないなと思っていました。
そんな折、母がみつけた一枚のチラシにあった「日本文化体験」の言葉に誘われて、地元の社会教育会館で行われた国際交流パーティーに参加してきました。

自分の興味とこれからの方向性をどう決めていくか、
そのきっかけをつかめる出会いがあれば良いなと思い、手製の名刺をもって出かけました。

開始にはまだ早かったのですが、ロビーでたまたまふっと隣の席に腰をおろしたボランティアスタッフの方に声をかけると、すぐに中へ通してくださり、どんな風に運営されているのかお話をきかせていただくことができました。中では年配の女性が風呂敷の包み方教室の準備をしているところでした。

参加にあたっては、特別な資格は必要ないようでした。登録しているボランティアの人がスタッフとして参加しているのだと説明されました。大使館の多い、港区などへいくともっと大々的な催し物があったりするので、そういうところに顔を出してみるといいと教えてもらいました。そんなことを話していると、気さくで気の早い、いかにも下町らしいその年配女性がいきなり「この方、ボランティア登録なさりたいんですって!」と、すぐに偉い人を呼び止め(笑)、手続きのための案内書をいただくことができました。

日本語教室については規定の講座を修了していることが条件ですが、無論、その資格はきちんと取るつもりでいたので、まずこういう所から糸口をつかむのもひとつの手かな、と今後の参考になりました。

taihenyokudekimashita.jpgさて、時計はいよいよ開始時刻の12時をまわり「まず、やったことのないことから!」と、生け花教室に足を踏み入れました。

軸につかうのはユーカリの枝葉でした。こんなところにユーカリがでてくるなんて、なんだか意外だなぁと思いましたが、実際はコアラが食べるのよりももっと小さい種類のものでした。

それを中心にしながら黄色いガーベラと薄桃色のストックという花の生け方を教わりました。

長方形の剣山を四角く四等分し、その左上のマスのまんなかへんをイメージして、まず軸となるユーカリをさしました。

最初はまっすぐさし、それから左に傾ける。それが基本でした。

次にその対角線上にも同じようにさし、今度は右へ傾けて広がりをもたせ、今度は左下のマス(ちょうど二つの延長線が交差する辺り)にストックをさしました。

こうして三角形をつくりながら生けていくのよ、と先生が教えてくれました。

葉を横に広げながら、すっと上へまっすぐ向かっていく花に、これからの自分の思いを込めました。

生け花はもっと難しくて厳しいイメージがあったのですが、ルールがわかりやすくてコツはすぐにつかめました。ほんの数分で完成しましたが、それなりの手ごたえは感じられて、楽しくやることができました。
近くにいたおばあちゃんに写真を頼んだら、私の顔が葉に隠れてしまいましたが、もう1度!とはなんとなくいいづらかったので、まぁこれはこれでいいかと笑ってカメラをしまいました。

使った花は記念に持ち帰ることができました。先生にお礼をいい、その場所をあとにしました。


furoshiki.JPGそしてさきほど挨拶をさせていただいた風呂敷教室のほうへと足を運ぶと、ちょうどワインボトルの包み方をやっているところでした。そのきれいさとかっこよさに惹かれ、勢いよく教えを請いました。

まず中心にボトルを立て、上下をそれぞれ三角に折り、ボトルのあたまが見えるようにしたら、ひだを作って輪ゴムで仮留め。

次に左右をきゅっともちあげて一度交差させたら、寝かせてしっかりと縛ります。

最初にどっちを下にして・・というのが単純だけれど忘れやすくて、2回練習しました。


するとうしろからポニーテールをした中国の女性がやってきて、見本の包みに見入っているようだったので
一緒にどうぞ!と声をかけてみました。

furoshikikyoushitu.JPG彼女の目の前にあった風呂敷は、赤くて色あざやかなもので、幸福の色とされている中国の女性にとっては特に美しい色だと感じたのだと思います。訊けば、さきほどは着付け教室でも赤い着物を着せてもらったとか・・

さっき撮ってもらったばかりの晴れ姿の写真をこちらに見せながら
「お嫁さん・・」と、いってはにかむ純朴そうな彼女の笑顔は、
とてもかわいらしかったです。(^^)

比べてみると、私なんかよりよっぽど覚えも早く、しかも綺麗にできていました!
日本人として、私ももっと練習せねば・・と思っていると、
撮影隊がいっせいに私たちをモデルにして撮り始めました。

パシャパシャ!はい、いいですねー!と言われているうちに
段々楽しくなってきました!(笑)


彼女は撮ったばかりのデジカメの画面をながめながら「きれいですねー!」と、
とてもうれしそうにしていました。

このあとはどうするの?とたずねると「お茶とお花やりたーい」というので、
一緒に茶道教室に入ることにしました。

日本人にも人気のコースで、私たちが入るとちょうど満員でした。

お茶の点て方は以前アメリカの友人が来たときに、東京駅近くの「京都館」で学びましたが、
きちんと正座をして、お菓子を出されるのは初めてで、作法も何もわからなかったので、
隣で私をお手本にしている彼女の目線を感じて焦りました。

崩れやすい練り物のお菓子をどうやって口に運んだらよいかなど、色々と迷い、
とにかく早く食べてしまおうと、急いでもぐもぐしました。サザエさんのようにんぐっとつっかえそうになりながら、
これは一度、きちんと一から学ばなければいずれ恥をかいてしまうなと思い、いいきっかけになりました。

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つづいて彼女は生け花教室、私は墨絵の教室へと足を運びました。

ここではあやめの描き方を習いました。途中参加だったあげく、全部見よう見まねだったので、
最初は墨が濃すぎたり、線が細すぎたりしてうまくいかなかったので二枚目をいただいてはじめから再挑戦。

まずすっと一本長い葉を薄く伸ばし、続いて濃い色で根元の小さな葉を描きました。

それから花びら、額、茎の順に筆を運び、最後に自分の名をいれてしめくくりました。

先生から「筆の抜き方がうまい!」と、ほめて戴きました。

色の濃淡の使い分けや、かすれの出し方が難しかったのですが、その気になればもっと上達できるのでは、とこれまた自分の世界を広げるよいきっかけになりました。

向こう隣にいた中国の男性は昔から筆になれていたのか、先生もスタッフの方たちも絶賛していました。

完成すると和紙でできたしおり人形をひとつ記念にいだきました。

shiori.JPG思っていたよりも会場の人数が少なかったので、
このあとどうしようかなとロビーで考えていると、
生け花体験を終えた彼女が自分の花をもって教室からでてきたところで目が合い、
お互いに手をふりました!

体育館のような場所で日本の伝承遊びと、太鼓の教室をやっていたので
二人でそちらに向かうことにしました。
まだ名前も知らない彼女だったので、
私はさっそく自分の手作りの名刺を彼女に渡しました。

「以前我学習中文」(イーチェン ウォーシュエシー ヂォンウェン)というと、

彼女が「そうなんですかー?うれしい」と言ってくれました。

彼女が自分の名前とメールアドレスを書いてくれているあいだに、
私が「我是二十五歳」(ウォーシー アールシーウーシュイ)というと、
「おなじー!」と喜んでくれて、一気に意気投合しました。

手渡された彼女の名前の一文字目は「桂」という字でした。
私の名前は中国語のことわざでも使われている字なのですぐに覚えてくれました。

さっそく二人で目の前にあった羽子板を手にとって、羽根つきを始めました。
二人ともラリーが1、2回しかできず5分で暑くなりました。これが本当の競い合いなら、
きっとお互い顔が墨だらけになって、描くとこがなくなってしまっただろうと思います。

紙風船やお手玉もありました。
中国ではお手玉のような形の袋を足でポンポンと蹴り上げる遊びがあるそうで、
子供のときによくこうやって遊んだよと、やって見せてくれました。

隣のテーブルにのせられた謎のまるい積み木をみて、不思議そうにしていたので、
「これはだるま落としっていうんだよ」と、木槌をもたせてあげました。

まぁ2、3回練習すれば私もできるよな・・と、高をくくっていましたが、意外にも苦戦しました。
私はすぐに諦めて撮影にまわりましたが、彼女は粘り強く、何度も何度も挑戦していました。

そばではインドから来た男の子が、わけもわからないまま
エイエイエーイと、まるごとすっ飛ばしていて、とてもかわいかったです。


darumaotoshi.JPG   

otokonoko2.JPG

otokonoko3.JPG











そうこうしていると太鼓の順番がまわってきました。

私は高校のとき、九州の修学旅行で身につけた
『勇駒』という曲を披露しようとしましたが、
残念ながら勇みきれませんでした。

照れずにちゃんと「ヤー」とか言えばよかった。
ほんとはもっとかっこよくビシっとキメたかった・・

和太鼓はヨーロッパの人にも人気があるようで、隣では背の高い白人の男性がうれしそうにはっぴと鉢巻をつけてもらっていました。「どちらからいらしたんですか?」と尋ねると、まだ日本語がよくわからなかったようで、
「Where are you from?」と訊きなおすと「Germany」と答えました。

グーテンターク、とあいさつしてみると向こうも笑ってグーテンタークと返してくれました。
若いその男性は一人できているのかな?と思いきや、そばで奥さんが小さな赤ちゃんをだっこして待っていました。とってもとってもちいちゃいお顔で眠たそうにしていました。

少しすると7歳ぐらいのお人形さんみたいな女の子がやってきました。
どちらから?と、お父さんに尋ねるとフランスと答えました。
わが子の初めてのはっぴ姿はとてもかわいかったようで、私にはクールにあいさつした彼も、
カメラを構えると、とても熱心でした。

韓国人の中学生ぐらいの少年も自分の勇ましい姿が気に入ったようで、太鼓の前で先生とキメポーズをとってました。みんな日本の文化が本当に好きなんだなぁ・・と改めて感じ、とてもうれしくなりました。

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最後に桂ちゃんの墨絵のようすをカメラをおさめ、色紙に記念のメッセージを書いて会場をあとにしました。

彼女は「月島はもんじゃ焼きが有名なんでしょう?食べてみたーい!」とワクワクしているようだったので、「私、焼くの得意だよ」というと「連れてってー!」と、大はしゃぎ。

彼女は6時からうどん屋さんのバイトがあるそうでしたが、昼間もやっているお店があるから今から行けば間に合うよというと、うれしそうについてきてくれました。

中国のどちらから?と尋ねると、「内蒙古です」と答えました。モンゴルの友達は初めてでした。そういわれてみると、肌の感じや純朴そうな表情がたしかにあちらの人らしいな~と感じさせる雰囲気でした。

2歳上のお姉さんと暮らしていて日本に来てまだ2年ですが、日本語がとても上手でした。

私が桂ちゃんと呼んでもいい?と訊くと、彼女も沙里ちゃんとすぐに呼んでくれました。

もんじゃ焼きは2度目のようでしたが、友達が焼いてくれるのは初めてだったようで、わ~っと、とても喜んですぐに写真を撮り始めました。彼女は控えめながらも、ちょっとしたことでもとてもうれしそうな表現をするので、素直で朗らかでなんだか以前から知っているような雰囲気で話せました。髪形が似ているせいか、なんとなく横顔も似ているような感じがしましたし、おっとり話すところも自分の波長と合っていて、なんだかとてもリラックスできました。

このあいだ、先輩の歓送迎会をやったもんじゃ屋さんのすぐとなりに、同じ系列の新しい店舗ができていて店頭に立っていたお兄さんが
「お姉さん方お二人!待ってました!世界一おいしいよー!」
という呼び声がおもしろかったので、「世界一おいしいっていうからここにしよう」と、
彼女が決めて入ったお店でした。店員さんも感じがよくて、とても居心地がよかったです。

定番の明太もちもんじゃと、豚キムチお好みを食べながら「彼氏はいるのー?」とか
「将来は何やりたい?」などと、いろんな話をしました。
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どんな男性が好きかときくと、「男らしい人」と答えました。

日本の男の子の印象をきくと、「なんだか心配。夜遅くに帰るし・・」と答えたので、「遊んでいそうなイメージ?」と訊くと、うなずきました。実際のところは自分が内気なのでまだあんまりよくわからないです・・と恥ずかしそうに笑いました。


中国の男性は彼女いわく、よく家事を手伝ってくれて頼もしいそうです。
日本では男の人はあまり家事をやりたがらないイメージがあるようだったので、私は最近は男の子も料理上手な子が多くて、逆にできない女の子のほうが増えているよというと、「さりちゃんは餃子作れる?」と、きかれました。

家庭で餃子を手作りする・・というと私にはちょっとしたイベントのように感じますが、無論、彼女たちにとってはそれはごく日常的なことで皮もなにもかもすべて手作りだといいました。

そんな身の回りのことや漠然とした将来のイメージなどを語っていると、短い時間でもかなりうちとけることができました。次はお正月に二人で浅草へお参りにいこう!と提案すると、
「あー!そうですねー!」また、とてもうれしそうな顔をしてくれました。

これから大学入学のためのお金をつくらなきゃいけないので、忙しくなりそうだけれど、
二人で休みの日を作ってぜひまた遊びましょうね!といって駅で手をふりました。

やさしい時間が流れているなぁと感じました。

風邪をひいていましたが、思い切って参加してよかったです。

彼女の穏やかな物腰や素直な表情は、遅く目を覚ました私の背中をそっと押してくれました。

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季節ごとに寄席に足を運んでいるうちに、三味線のもつ魅力に引き込まれるようになった。
 
寄席では噺家一人一人に「出囃子」と呼ばれる登場曲があり、袖のほうでは下座さんたちがそのお囃子を演奏している。
 
先達、浅草一人散歩で駅に降り立つとすぐに浅草演芸ホール・東洋館の楽屋からこのお囃子を練習しているのが聞こえてきて、なんともこの町らしい雰囲気を味わったものだった。
 
また、落語の間には漫才や曲芸などのほかに「色物」と呼ばれる、舞や三味線などの演目がある。
今年の正月寄席で初めて出会った、浅草生まれの浅草育ち・三遊亭小円歌さんはたった二人しかいない三味線落語という芸をもつ女性の一人である。白と桃色と銀色のシックで華やかな着物に身を包まれ、糸の調子を合わせながら謡う姿は美しい。まさに日本女性の美、そのものである。
 
今年の春、東京シティガイドクラブの登録更新を行う際、私はあることに気がついてしまった。
「自分の特技」を書く欄である。私が日本人として胸を張って「これができます」といえるものが何もなかったのだ。あるのは中途半端な外国語会話力と、途中でやめてしまった書道・エレクトーンぐらいだった。これではいけない。日本人として一芸身につけたい。
 
小円歌さんの姿は私の憧れとなった。三味線ならどこへでも持ち運ぶことができる。
着物を一人で着こなし、海外の人の前でチン・トン・シャン・・と一曲でも奏でることができたらきっと喜ぶだろう・・そう思うと、いてもたってもいられなかった。

私はネットで三味線の一日体験教室を探し、さっそく応募のメールを送った。
 
教室は人形町にあった。駅に降り立つと、古びた木造の家や小さな鳥居があり、歴史を感じさせた。
知らない町の澄んだ空気が、今日はよい一日になりそうだ・・と予感させてくれた。
 
教室には12名ほどの生徒が入った。20代後半から30代ぐらいの女性が大半で、ご年配の女性と男性もちらほら。中には着物をきている20代半ばぐらいの綺麗な女性もいた。「長唄を習っています」と、まっすぐな背筋で声を張るその女性は、とてもかっこよく見えた。
 
女流義太夫の方が行っているところこの教室は講師に鶴澤駒治さん、そして我々初心者のサポートをしてくださるのが駒清さん、弥々さん、津賀榮さんというお名取さんたちである。教室に通ってある程度以上の実力が認められると、このように名前をもらえるのである。

座布団の前には浄瑠璃などの公演案内、今日の教本、そして各々柄の異なる手ぬぐいに、毛糸の「指かけ」なるものが配られた。譜面は「いろは」で表記されており、一番太い上弦を一の糸、少し細くなって二の糸、三の糸と順に音が高くなっていく仕組みだった。
 
ふだん寄席で見かける細棹の小さな三味線と違い、義太夫のはとても大きく感じた。手の小さい私にこの大きさは大丈夫か・・?と思ったが、それよりもとにかく撥をもって弾きたいという気持ちのほうが大きかった。
 
「三重」(さんじゅう)という語りの最初に使われる曲のさわりの部分を教わった。
最初は三の糸をどこも押さえずに開放弦で四回弾く。皮に撥先をつけるように力いっぱい弾く。次は二の糸と一緒に。重みのある響きが加わり、ここでぐっと三味線らしさが増してくる。
 
ギターなどの弦楽器には棹の部分に「フレット」と呼ばれる突起があって、それによって音階がかわる。しかし、三味線にはそれがない。どの辺りを押さえれば、その音が出るのかは師匠の指をみて覚えるしかないのだ。だからその壺を「勘所」と呼ぶ。shamisenhajimeyou.jpg
 
隣のおばあちゃんはそれがなかなかつかめないようで苦戦していた。私は小六でやめてしまったが、エレクトーンをやっていたことは意味があったなと、この時改めて実感した。三味線の棹は一本のように見えるが、実は二つに分解することができる。木の凹凸を組み合わせでできているので、継ぎ目がある。
だからこの継ぎ目を目安にして壺をおさえるのだ。
 
「調子三年、勘八年」といわれるほど、満足に弾きこなせるようになるためには、
長年の熟練が必要なこの楽器。

今、目の前にいる師匠も初めからうまく弾けたわけでは決してなかっただろうと思った。
楽譜に書いてある文字は特殊でしっかりと説明を聞いていないと、ついていくのは少し大変だったが、一生懸命自分の指に「こうだよ、こうだよ」と念じながら弾いていくと、しだいに思ったとおりに指を動かせるようになってきた。
 
その頃には両足にかかる自分の体の重みも、バチを支える右手もかなり痛くなっていたが、物語がいよいよ始まるという所でのテテテテテテテンと指をスライドさせながら調子が上がっていく部分を弾けた時には、いかにも三味線を弾いているという感じがして、とても気分が高揚した。
 
最後に通し演奏をして、二時間の講座をしめくくった。
 
かなりの手ごたえがあり、なかなか簡単には弾けない分、最後にみんなで合わせられたときの達成感は大きかった。それまでピンと張っていた教室の空気がふっとほどけた瞬間だった。
 
太棹でこれだけ楽しめたのなら、細棹の教室が見つかればもっと打ち込めるだろうと強く感じ、新しい世界を発見できた喜びに包まれた。
 
教室の外に広がる味わいのある町並み。「長唄を習っています」と美しい声でこたえた女性の凛とした着物姿がふたたび目の奥によみがえり、これからの挑戦に希望がわいた。

今年は元旦を迎えてからずっと、「和」にこだわった時間を過ごしたいと常々思っていた。
初めて来日するアメリカ人の友人ジェレミーに心ゆくまで日本を感じてもらいたい・・
一昨年、東京シティガイドの試験を受けたのも、それがきっかけだった。
彼が純粋な気持ちでニッポンをみてくれているから、私も「和」を大切にしたいと思ったのだ。


歌舞伎・能・狂言と並んで、私の好きな日本の芸能の一つに「落語」がある。
休日土曜の午後2時をまわる頃、NHKではな木久蔵の描いた挿絵を背景に
「日本の話芸」という番組タイトルの白い文字が浮かびあがり、
ピッピリ~と、心地よい笛の音が流れる。
そのオープニング曲を聴くと、「あぁ、今日はどんな噺を聴かせてもらえるんだろう・・」と、
まだ見ぬ名人の登場に期待が高まるのだ。
そんな楽しみを知り、今年はたくさん寄席に行こうと強く思っていた。

浅草は正月に1回、上野の鈴本には3月に1回、4月に2回、5月に1回、
そして7月は『大銀座落語祭』に2回と、これで7回足を運ぶ計算になる。

私はこの祭にはなんとしても「正装」で行きたいと思った。

夏の落語にはやっぱり浴衣でしょう、と。


去年見立てた、白地に青の浴衣に合う下駄を探しに、今日は母と浅草へでかけた。

大江戸線で新御徒町からつくばエクスプレスに乗り換えて一駅。
降り立つとすぐに、正月に行った東洋館の楽屋からお囃子の音がきこえてきた。

やっぱりたまんないなぁ、夏の浅草は。


母が昔、着物の好きな祖母と来た記憶を頼りに、田原町方面へ向かって歩く。

途中、八つ目鰻の看板を目にし、過労で栄養不足の母が気にしている様子だった。
健康番組などで、必要な栄養素の項目欄で頻繁に書かれているそうだ。
この頃、視力が落ちてきた私にとっても、八つ目鰻はいいらしい。
けれど今日に限ってシャッターは降りていた。

その通りにあった横断歩道の向こう側には「漢方薬」と大きく書かれており、
近づいてみるとそこは、さっきの鰻屋の姉妹店のようだった。
つい最近私の友達も体の悩みを根底から解決したいなら漢方がおすすめだといっていた。
いざとなったらここへ来よう。

そう思いながら、その場所をあとにして、雷門通りへと向かった。
角をまがったところに一軒の風格ある履物屋が見つかった。
ショーウィンドウに飾られている下駄の手前には手のひらサイズの飾り下駄もあり、
とても可愛らしかった。

さっそく中に入ってみることにした。
母は昔、デザインの仕事をしていたため、色を見る目は確かだった。

帯は紺色に白い刺繍が入っているので、そんな雰囲気にあう鼻緒を探した。
ニ、三足気になるのがあったが、第一印象で最も目を引かれたのがこれだった。

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黒や檜や茶色の板はよくみかけるが、紫というのはなかなかない。
この道何十年という女将さんも、

「お嬢さんの足なら調整なしでこのまま履けますよ」と、太鼓判を押した。

さっそく試してみると、履き心地はとても軽かった。
今までだと、よく鼻緒にあたる部分が皮むけでヒリヒリして痛くなっていたので相談してみると


「あぁ、それは硬い鼻緒のでしょう?これならとってもやわらかいから大丈夫。
絶対にそんな心配はいりませんよ」

と、自信をもって勧めてくれた。

素早く、力のあるその女将の一言に、私と母は顔を合わせてうなずいた。
レジでもらった名刺には『浅草のれん会 御はきもの処 和泉屋』と、書かれていた。
いつかまた大人の着物を着るようになったらここへ来よう、と思った。


思ったよりもだいぶ早く目的を果たせた私達は、今夜のお食事処をさがして
上機嫌で再び歩き始めた。

雷門に向かって進んでいくと、映画原作『しゃべれども、しゃべれども』の表紙を飾った
国分太一の写真が目のわきに映り、気になって振り返ると一台の機械があった。

何だろう、と二人で足を止めると「千社札」と書かれてある。

自分の名前を入れて、好きなデザインでつくれるらしい。

おもしろそうだね!と、二人で百円玉を投入してみた。

まず最初に構成のパターン、名前の位置決めと入力、文字の種類、
そして最後に背景のデザインを選ぶという4つの工程があった。

さっき買った下駄の色が印象に残っていたので、それに似たような色を選んだ。

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●●亭などと入れることもできるようだったが、初めてで要領を得なかったので
とりあえず今回は自分の名だけにしてみた。
ジェレミーに教えたら喜ぶかもしれないなと思い、この場所を覚えておくことにした。

思わぬ発見ができたうれしさで足どりはさらに軽くなり、
雷門をぬけて仲見世に入っていった。
アジア系の観光客がパチリ、パチリと色んな方を向いてシャッターを切っていた。
平日なので、人はさほど多くなく、一軒一軒のお店をゆっくりと見てまわることができた。

中でも気になったのが、招き猫の専門店。窓一面にねこ、ネコ、猫。
さらに奥にはソーラーでゆったりとしっぽをふって笑う猫なんかもいたりして、
これはOn Japanのディスプレイにうってつけなのではないか、と思った。

棚がえがおわって、細かい調整に入る時、置けそうならばおいてみよう。

いやー、今日はいい出会いがつづくなぁ。


楽しくなってさらに足を進めると「すぐれもん」と書いた和菓子を発見。
しゃれた名前のそのレモンのお菓子はたしかにおいしそうだったが、
私は、その横にあった「おいもパイ」が気になった。

見つけたとたんに食べてみたくなったので、せっかくだから
いつもお世話になっている売場のみんなにも買っていこうと思い、
一箱包んでもらった。明日、仕事の合間に封を切るのがとても楽しみ!

表参道まできたところで左に曲がり、「伝法院通り」に出た。

仲見世の煌びやかな雰囲気とは違い、濃紺や濃緑に染められたのれん、
そして濃茶の木造の建物が軒を連ね、昔ながらの浅草を感じさせる。
たい焼き屋や、帽子屋、古書店といった並びの奥には
江戸文字に木の看板を掲げた風格ある着物屋が店をかまえ、
BGMにはお囃子が流れていた。

なんて粋な町なんだ。本当に・・  そう呟くと、

「梅雨の浅草はしっとりしていいもんよ」と母がいった。

私はこの通りがとても気に入った。

極めつけは角を右に曲がったところにある赤提灯の店だった。

外にはいかにも下町の飲み屋という感じの丸いすと長机が並び、
前を通るたびにおばちゃんの威勢のいい呼び声がかかってきた。
どこがいいかなぁ・・と見ながら歩いていると、三軒目で母が足を止めた。
同じ赤提灯でもさっきより少し静かな雰囲気のする店だった。

生を2つと、牛すじ煮込み、それになすあげを頼んで間もなく、
わきの車道から一匹の猫がやってきた。

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ごらんの通り、そんなに愛嬌のある子ではない。

けれども、人があまり得意でないながらも、そのそばを離れず、
母の手や椅子にすりよる姿がなんともいじらしく、
箸をとめてしばしその光景を眺めていた。

父がいたら、きっと喜んでいただろう・・
酔えば、実娘の私のことでさえ飼っていた猫の名前で呼んでいたのだから。

「ちょこ、お前もお酒のむか?」

と、今頃いっていたに違いないと思うより先に、私の口はそういっていた。

下駄屋の女将さんに始まり、今日は一日ずっといい出会いばかりだった。

とても幸せな気分になった。

ほんの少しのビールで、いつもよりハイになった。


いつもはあまりしゃべらず、笑っていてもどこかさみしそうな母も、

今日は心から喜んでいるようだった。


浅草って、やっぱりそういう町なんだな・・・






 今日は仕事のあと、母と夜桜をみにでかけました。

私の住む近くの公園はちょうど隅田川沿いにあり、毎年春になるととても美しい幻想的な場所になるのです。

特に坂をのぼる途中に見えてくる桜のアーチがとても気に入っていて、

一度は大切な人を連れてきたい居場所でもあります。

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毎年、我が家はお弁当をもって桜をみにいくのが春の楽しみになっています。

時間があるときは作るのですが、今週はお互いに忙しいので近くでお惣菜をいくつか選んで、

それから偶然みつけた「わらび餅」も手にとって、風流に和の心を味わうことにしました。

去年の春は手にした日本酒に、はらはらと桜の花びらが舞い落ちてきて、

とても美しかったです。私が生まれた頃にはもう天国にいってしまった

祖父もそれを「桜酒」と呼んで、楽しんでいたそうです。

ピクニックが大好きだった父もきっと喜んでいるだろうと思いました。

母は毎年必ず卵焼きをつくってくれていたので、

今年もないと落ち着かなかったようで、「どうしても…」といって買ってきました。

でも卵焼きだけはやっぱり、よその人が作ったのよりも、母が作ったものを食べたいと思ってしまいます。

甘すぎず辛すぎず、本当にちょうどいい味なのです。

砂糖やみりんのかわりに日本酒を使うのが我が家流です。

いつかこの味も受け継がなければならないと思いました。


日本人はやっぱり桜が好きだと思いますが、なかでも私にとって桜は特別な花です。

専門学校にいたとき中国語を専攻していた私は

2年になったとき入学式で科の代表としてスピーチをやることになったのでした。

その学校は我が家にとってはとても学費が高く、入るのだけでも本当はやっとでした。

でも、高校も私立だったのでずっと働きづめの親に、これ以上負担はかけたくないと、

自らも放課後、電車に飛び乗って駅から駅までの数分間に仮眠をとりながら、

身を削る思いで通ったのでした。勤めた先はお台場のフジテレビのすぐ横にあるホテルで

ルームサービスのオーダーを電話で受け、ウェイターとキッチンにその指示を出すという

仕事でした。聞き慣れないアラブ系の外国人客の話す特徴的な英語でだされる注文も、

的確に聞き分けて判断したり、クウェートの副大統領が

宗教上食べられないものを抜くようにキッチンに話を通したり、

18歳にして初めて大きな会社で責任のある仕事についたので、

とても緊張していて、

失敗の連続で精神的にも体力的にもきつい毎日でした。

帰宅すると夜中の12時近くなって、それからご飯を食べて3時頃寝て、

早朝にはおなじ学校のビジネスマン向けの教室の受付窓口のバイトをやったりして

一週間七日、ほぼ休みなく働き続けた学生生活でした。

8222dc4f.jpg高い目的意識と、情熱があったからこそ成し得たことで、

そこでの挫折と苦悩と挑戦が

その後の自分の内面を大きく変えてくれました。

仕事や語学力以上に、人の痛みがわかるようになったことが

最大の収穫だったように思います。



不慣れながらも一生懸命、夏休みもあまり遊ばずひたすら汗を流して

ようやく一年が過ぎ、訪れた春の休日にその公園を歩きながら

ふっと見上げたとき、桜が笑ってくれているようにみえたのです。

私はその桜をみてとても幸せな気持ちになりました。

その桜はまるで

「一年間よくがんばったね。これからもその気持ちを忘れず、

一つ一つの出会いに感謝して、より一層多くのことに挑戦していくんだよ」

と、私に語りかけてくれているようでした。

これから希望をもってそれぞれの学びをスタートする新入生たちにも

そんな出来事をありのまま伝えたかったのです。


そして今年。

その当時からずっと6年ほど文通していたアメリカ人大学生が、

ついに憧れの日本へやってきました。

私は一週間、ほとんど毎日彼とその友達と時間を共にし、

初めてみるたくさんの「日本」に感動したり、

笑ったり、驚いたりする彼らの表情や声を間近にし、

学生時代一緒に過ごした留学生の

たくさんの「?」が「!」に変わる瞬間の笑顔にふれることができた喜びをきっかけに

日本語教師を目指し始めた当時のことを思い出しました。

今回初めての本格的な英語での東京案内で、

自分にはまだまだ知りたいことがとてもたくさんあると感じましたし、

英語の上達に向けて今まで以上に真剣に取り組もうと心に決めました。

その彼についてはのちほどくわしく書くつもりですが、

私の人生にとって欠かせない存在であると気づきました。

一緒に来たシアトルの友達もみんな桜をみたがっていました。

ほんのタッチの差でその思いは叶えられませんでしたが、いつかまた必ず

今度はもっといろんな引き出しをもった自分になって

また彼らに桜をみせてあげることができたらいいなという願いが

桜の開花とともに決意に変わりました。

25歳の春みたこの桜が、これまでの中で最も意味深く

なんともいえない感謝の気持ちが心の底からわいてくるものでした。

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きょうはめずらしく母が休みで、お昼一緒に

NHKの「日本の話芸」をみました。鳥の声のような笛の音と

木久蔵が描いた絵で番組が始まり

柳屋小三治 うどんや

と白い墨文字で書かれ一気に期待が高まりました。


昔、江戸の町をゆくそば屋は

自分が呼びとめられる時の声は小さいほうが

儲かると思っていたそうです。

通りには夜になると中で博打をしている者がいて

自分たちの悪行がばれないようにこっそりと

声をかけ、仲間の分まで頼むからだそうです。

そして江戸の男たちには太くてもっちりしたうどんよりも

細くて手早く食べられるそばの方が粋で好まれていたそうです。


そんな前置きで始まった今日の小噺。

ある冬の寒い夜に通りでうどんやが桶とやかんをひっかけている姿を

みかけた酔っ払いの男が

「こいつぁいい、ちょっとあったまらしてくれ」と、

墨で暖をとるため、うどんやを呼び止めるのでした。


手をこすり合わせ、酔っ払って理屈ばかりいっては

うどんやにからむそのおやじの芝居が非常にうまく、

「あー、こういうおじさんいるなぁ、お客さんにも…」

と思いながら、ニヤニヤして聴いていました。

それからかわいがっていた近所の娘が嫁いだという話を

上機嫌で話していると

「おじさん。さて、このたびは・・・」

と、最後のあいさつをされたのを思い出し

しゅんとして急に静かになってしまう演技は

お酒好きで寂しがり屋の父を一瞬思い起こさせるほどリアルで

その間のとり方の妙に、心がきゅんとなりました。


結局その男は、ただあったまってからんで、うどんは嫌いだと食べて行かず、

おまけに捨てゼリフまで吐いて去っていったので、

「冗談じゃねぇや、あんなろくでもねぇ奴の相手してたら商売にならねぇや」

と、呆れながら歩いていると、今度は別の男が、

「うどんやさ~ん。 おぉい、うどんやー」

と、今にもかすれそうな声でよびかけてきました。

「お…!きたな。これだから商売は怠けじゃいけないな」

と、張り切って、その男に合わせるように小さな声で

「へい、何杯こしらえましょう!」

「一杯」

「…え?」

「一杯」

「一杯・・だけですか。…承知いたしやした」

と、がっかりしながらも、黙々と懸命にこしらえ始めました。

「へいお待ち」

と、差し出し、くわえた扇子をちょっと開くことで

箸を割るようにみせていました。

それからどんぶりを抱え込んで

「ふぅ…ふぅ… ずず~  あぁ・・」

と、芯からあったまっているようでした。

具の方に箸をつけてぱくっぱくっと素早く口に運ぶさまや

途中で「ずっ」と鼻をすすったり、

最後に切れ切れになった麺を集めて食べるさまなど

本当に芸がこまかくて、思わず画面の前で

「おいしそう・・・」

と、つぶやいてしまうほどでした。


「お代はいかほど?」というと、

客の男はたもとからあるものを取り出しました。

さしだされたそれをみて、「えぇ?」と顔をあげると

「うどんやさんも風邪ひいたんですか?」

といったところで、小噺がおわり小三治師匠が頭を下げました。

私はテレビのなかのお客さんと一緒に拍手をしました。

名人の江戸落語は素晴らしい!と、感激しました。

特に酔っ払いの演技は本当にもう一度みたくなるほど

心に残りました。

そのあとネットで小三治のプロフィールを拝見しました。

40代まではバイクが趣味だったそうで、

「ニューヨーク一人歩き」などのエッセイ風落語という

この小三治師匠ならではの芸もあるそうです。

趣味の欄には"ドキュメンタリーものの録画"とあり、なるほどな。と思いました。

それ以外では「ハチミツ、蜂、世界の塩、その他いろいろいろいろいろいろ」と書かれていました。

著書もいくつかでているようなので明日店で探してみようと

思います。自分の職場で欲しいものをすぐに見つけられるなんて素晴らしい☆

春にまた落語会を開くようなので、次はぜひ足を運ぼうと心に決めたのでした。















 

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1982/02/14
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セレクトショップスタッフ
趣味:
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自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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