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今朝は起きてまず最初に思い切って、ずっとやりたかったバスルームの大掃除をしました。

天井や壁や浴槽、そしてドアやライトの上、流しの裏側など、普段目にしていない部分の汚れとじっくり向き合って一心に磨いていると『落とせない汚れ』への対処のスペシャリストだったゲストハウスの先輩、仲良くなった色々な国のゲストたち、それから昔の職場でお世話になった方々との時間が次々と頭に浮かんできて、自然と力がわいてきます。

「水周りの掃除を丁寧にすると、人間関係もスムーズに流れる」

という話を以前どこかで聞いたので、今日は見えないところほど丁寧に、道具をうまく使い分けながら隅々まで汚れを落とすことに集中しました。

若い時、私は日本人同士だと、時々どうしても相手に気を遣い過ぎて、自分の気持ちを押し殺してしまうようなところがあり、衝突を恐れるが故に、本当に打ち解けられた相手でなければ、職場でも恋愛でも、思うように関係を太くできないのが悩みでした。

けれど今、販売の仕事では毎日知らない日本人に会い、その人がどんな事を求めているのかを、短い時間の中で読み取りながら、その人に合った言葉で語りかけ、一番ふさわしいものを一緒に選んで、包んで、受け渡すということを常に繰り返しているので、自分の考えを明確に伝えることによって、こんなにも人を喜ばせることができるのだという実感をもてるようになりました。
 
今年は関西から契約社員の女の子が一名入り、彼女の存在によって売場スタッフ一人一人の心が繋がってきたり、プライベートでも以前『Piacere』という記事でご紹介した、あの素敵なイタリア人青年がこっちで暮らすことになったりと、一気に人との交流が活発化し、人との関わりに対する発想が少しずつ変わって、段々心がほぐれていくのがわかりました。

その二人に出会ってから、私の軸は前よりも少し太くなったような気がします。

状況に応じて、正直な気持ちを恐れずに伝えてみることで、もっとお互いが見えるようになり、苦手だった人とも、反対に、大切すぎて優しくすることしかできなかった相手とも、率直な意見交換ができるようになってきました

きっと、そういったタイミングもうまく重なり合い、来月には印象的だったカオサンのスタッフやゲスト達と再び会う予定が、少しずつできてきました。そしてイタリアの青年も、昔お世話になった大切な人に私を紹介したいと言ってくれています。

その一人一人の人達との時間の中で、これまで閉ざしていた扉の向こうがわの景色を見られるように、明日からもじっくりといらないものを捨てながら、自分の環境を整えていきたいと思います。























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金木犀の香が足どり軽やかにしてくれる季節も、冷たい風とともに少しずつ過ぎゆこうとしています。今年も残すところあと、二ヶ月余りとなってしまいましたね。

私は元旦を迎えたとき「今年は1日1つ夢をもち、365個すべて叶える」と、決意しました。
ちょっぴり無謀とも思えるようなその挑戦を可能にしてくれたのが、春先に母が提案したある
一言でした。

「今年のお花見は、沙りと二人でお弁当をもって浅草までずっと隅田川沿いを歩くよ!」

浅草までの道のり

私の住む小さな町から、目的地までは十もの橋がかかっています。

自転車や船でなら何度か行った事のある道ですが、徒歩ではまださすがになかったので、
意外な提案に驚きましたが、水辺が好きな二人なのできっと楽しい時間になるだろうと、
心を躍らせてその日を待ちました。

当日は晴れ。歩くのにはちょうどいい気候で、写真の撮影ポイントを探しながら
中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋・・と、順調に足を進めました。

















幼少の頃から体力のない私を心配した母は途中「休む?」と、何度か訊いてきましたが、
その度に私は「まだまだ!楽しみはもっと後にとっておく☆」と、ぐんぐん先へ進むので、
「がんばるねぇ。すごいねぇ」と、少し驚きながら
「こっちの道が面白いんだよ」と、案内をしてくれました。

そうして新大橋を過ぎた辺りで静かなベンチを見つけ、ようやくお弁当を広げることにしました。



時計はすでに午後二時を回り、宴の支度をする屋形船が往来するのを二人で眺めながら
時折、父のことを話したりしました。

「父さん、このおかず好きだったね!」から始まり、他愛もないことをあれこれと思い出しては
ハハハと笑ったり、しゅんとしたり・・

お弁当をもって出かける行事が大好きだった父は、いつも朝はりきって支度をしていました。

子供の頃、デザインの仕事をしていた母は毎日納期に追われ、夏休みのおでかけも
父と二人きりで行くことがよくありました。

しかし、私をプールに連れてきても一緒に泳いでくれるのはお弁当を食べる時までで、
あとはいつもウィスキーを飲んでプールサイドで寝てばかり。

「だから、ちょっとさみしかったんだ・・」と、打ち明けながら、お弁当箱のおにぎりに
手を伸ばした時、木漏れ日が差し込んでふーっとあたたかくなりました。

その瞬間、ふと思ったのです。

二人で握ったおにぎりを食べて、ぽかぽかの太陽を浴びながら、
ボートに横たわってゆったりと水に浮かぶ・・
そんな風に休日を過ごすのが、きっと何よりも贅沢で幸せだったんだろうな、と。

奇しくも当時の父と同じ仕事に携わるようになったおかげで
そんな父のひそかな思いに、ふと気がつきました。
そうして、ふわりと舞い落ちてきた花びらが水面に揺れた時、
気持ち良さそうに眠る父の顔が浮かんできました。

しばらくすると冷たい風が吹きつけてきたので、広げたお弁当を二人でしまい、
「ウ~ン・・」と、思いきり体を伸ばしてから再びゴールを目指しました。
人形町辺りを抜けて、墨田区に入ると相撲部屋なども近いせいか、
少しずつ外国人観光客の姿も見え始めました。

途中で川沿いから外れ、脇の道を入ったところで
趣きある小さな橋のたもとに、古い建物を見つけました。

昔ながらの船宿のようなたたずまいをした佃煮屋の向かいには釣り船屋。
屋形船が停泊する柳橋。少しだけ足を止め、江戸情緒を感じながら
大好きな落語の世界に出てくるような当時の町の人たちの暮らしに思いを馳せました。

柳橋にて















老舗佃煮屋
















「寒いね。疲れたけど、あとちょっとだね!」と、母と二人で目指してきた道のり。
少しずつ陽も傾き始め、ゲストハウスに通う際いつも渡っていた青い橋が向こうの方に見えてきました。
















緑色の厩橋を越えた辺りで、見慣れた景色に安心し、
少し重くなり始めていた私の足は、また一気に軽くなりました。
駒形橋そばの通い慣れたラーメン屋さんを背にしながら、最後の道を一直線!
そうして、とうとうゴール地点の吾妻橋に着きました。

ふもとには、オープン間近のスカイツリーを、そのファインダーにおさめようとする
観光客の姿で賑わっていました。駅前で地図を広げている外国人達も、きっと
私がいたあのゲストハウスに向かっているんだな・・・と、大好きだったそんな光景を
久々に目の当たりにしたその時、この長い道のりを一心に歩いてきて本当に良かった
という思いが込み上げました。

「懐かしい~!何かおいしいものを食べて帰ろうよ!」と、得意になって母を引っ張ると
「え~・・・せっかくいっぱい歩いたのにもう食べちゃうの?家で体重計ってからにしようよ」
と、母に説得され、ちょっぴりがっかり。仕方なく、すしや通りを抜けROXの方に出ました。

この辺りには安くて気の利いたデザインの服を置いている店があるので、
「食」は諦めて、「衣」を愉しむことにしようと、春夏に着られるワンピースを探すことにしました。

紺のカットソーと、パープルのAラインのワンピースが気になり、丈の長さを鏡で見ていると
店員さんが私に合ったサイズを一目で見分けて、素早くもってきてくれました。
アプローチがとても自然でフォローも上手なベテランの女性で
私の試着を待つ間、母も楽しそうに話しているのが聞こえてきました。

シルエットがなかなか良くて、今までより大人っぽい雰囲気になったので
この服を買って帰ることにしました。

「あの店員さん私達のこと、姉妹だと思ってたみたいだね!」

「親子ですって言った時のリアクション凄かったもんね☆」

と、二人で笑いながら、帰りはそのまま大江戸線に揺られ、
半分眠りながら家路につきました。

いつもは近くの公園でゆっくり桜を見るだけだったのに、なぜ今年はこのようなコースを
計画したのか・・それは私が30代を迎える少し前から急激に太ってきたことを心配した母が、
私の運動不足を解消させる作戦だったのだと、後日打ち明けられました。
























 
 
ふと気がつけば、私もあと2ヶ月で30歳。

知らない世界にいくつも飛び込み、叱られつづけながら考え抜いた20代・・・
でも、そうして足をとられるたびに戴いた様々な言葉を
何度もなんども自分の中に反響させながら、じっくりと目をこらし
最後の年に、ようやく探していたものが見つかりました。

不得意なことに、バカみたいにまっすぐ挑み続けている姿を
一つ
距離を置きながらも最後まで見守り続けてくれた人、本当にありがとう。

そんな人の本当の愛に気づくまで、抱えきれずにあふれ出すものを
ずっとありのまま
を受け止めてくれた人、本当にありがとう。

あの頃があったおかげで、この一年はずいぶんたくさん笑って過ごせた気がします。


Merry Christmas!


























3.11の震災からちょうど1ヶ月後に、また東日本が大きく揺れた。

自宅マンションの水道は揺れを感知すると止まるらしく、夕食時だというのに水がでなくなってしまった。
幸い、ものの5分か10分で復旧したものの、シャワーや歯磨き、トイレの事を考えるとやはりいざ東京のライフラインがストップしたらどうなってしまうんだろうという恐れを感じた。

そんな夜、私は再びあのイタリア人男性、アンドレアに今度は夢で会うこととなった。

彼は日本が大好きで、「このままずっと日本で生活したい、一緒に勉強しよう」と、話した直後に、どこかへ行ってしまった。私は慌てて彼の宿泊するホテルのある町まで必死に自転車をこいで探しにいくという話だった。

寂しくて寂しくて仕方なかった。

昨夜、ゲストハウスの先輩に近況を聞いてみた。

稼働率は30%、例年は桜をもとめて予約や問い合わせが殺到していたこの時季に、今年はキャンセルが相次いだという・・

被災地からきたゲスト向けに割引プランなどを打ち出しても、その現状は変わらないという。

浅草で外国人を見かけなくなってしまうことなど、考えたこともなかった。

本当にやりきれない。

大好きだった喜多方ラーメンのお店はどうしただろう・・お店でバイトしてたアジア人留学生たちや、いつも挨拶してくれた店長さんたちは・・

やはり私の心はあの場所から離れることはない。

そして、一番大切なのはやはり日本を愛してくれる海外の人たちなのだ。

3.11の夜、私は空港にいた。東京湾にも津波の警報が出た。すべての電車が止まった。誰も帰れなくなった。仕方なく中で一泊することになった。通路にもロビーにも人が溢れたが、余震と警報でまともに眠れた人はきっと少なかっただろう。

バッテリーがなくなりつつある携帯電話を握り締め、必死でFacebookをみた。
イタリア、ドイツ、フランス、スペイン、タイ、マレーシア、アメリカ、ブラジル、オーストラリア・・・たくさんの国からの「Sari, are you alright?」 「Stay safe」 「How is your family?」 「Ganbatte! Take care」と、励ましのメッセーじをもらい、不安を凌いだ。

やがて、その携帯も動かなくなった。

同じ空でつながっているのに、どうしてこんなにも離れているのか。

すぐにでもみんなのところに飛んで行きたい気持ちだった。

非常用の自家発電を行っている空港には、携帯充電機の順番待ちの人たちが根気よく並んでいた。

朝になり、ようやく電車が動き出すと、私は急いで乗った。

その日、結婚式を挙げる従兄弟がいたのだ。

空港の広い滑走路の向こうから照らす朝日は、それまでにないぐらい明るくて、車窓から差し込むその光を全身に受けた時、地獄のような暗闇から抜け出したような安堵感でいっぱいだった。

「明日がいつでも訪れるとは限らない」という事をこんなにも痛感した事はなかった。

桜が咲いたのに、こんなに寂しい気持ちで過ごしたこともなかった。

それでも変わらずに日本を愛してくれるたくさんの人たちと、またいつか笑って会える日が来るように、

そしてもし、言葉が解らずに困っている人たちの助けとなれるように、

自分の魂が本当に喜ぶ道を、見失わずに生きていきたい。


 

みなさま、ご無沙汰しております。

あっという間に今年も残すところ1ヶ月を切ってしまいましたね。

実は、お世話になったみなさまに新たなご報告があります。

プライバシーの都合により、ここでは書けませんが、今度お会いする時を楽しみにしていてください。

ふふふ。

今年はいいクリスマスになりそうです。

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HN:
沙り
年齢:
35
HP:
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
セレクトショップスタッフ
趣味:
ジョギング・写真      伝統芸能・祭・旅
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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