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ゆうべ中学時代からの男友達を呼び出して、久々に地元の居酒屋で飲んだ。

ちょうどヤツの誕生日だった。

待ち合わせの間"EARLY TIMES"のミニボトルを買っておいた。

数年前は陸上自衛隊にいて角刈りにしてたそいつは、今はスーツを着てる。

眼鏡もかけるようになった。


突然の雨だったので、ビニール傘を差してやってきた。

席についてから「おめでとう」とウィスキーを渡したら、「おぉ!」と少し驚いてから笑って「ありがとう」と言った。


この夜も、私のくだらない失恋話を笑いながら、

そして、いろんな道を歩いてきた27歳の男としての意見を授けながら聞いてくれた。

私は子供のままだけど、彼はいつの間にか大人になったなと思った。

私の最も情けない部分を、昔から見てきてるのは多分この人ぐらいだろう。

鬱の時も。 倒れた時も。

中学卒業後はまったく会ってなかったけれど、

成人式で再会してから半年か1年に1回ぐらい、

こうやって地元で飲んで、ちょっといい話をして帰る・・そんな相手。


真剣に何かと向き合う時、私はバカに真面目になって1点に100%の意識を注いで見てしまうことがある。

好きな勉強はそれで得意になれたけど、仕事や恋愛では、それじゃあうまくはいかない。

そんなのもうとっくに分かりきってることなのに、気がつくと「あ~ぁ、またやっちゃったよ・・」のパターン。

このままじゃそろそろヤバイ・・同じところで躓いてばかりいる私に、アイツは言った。


「点ばっかり見ててもしょうがないだろ。線で考えないと」

もっと慣れてくれば、「面」で見れるようになる。

一次元から二次元、二次元から三次元・・


「先の事を想定して下地をつくっとかないと、いざ状況が変わった時うろたえちゃうだけだから」

いろんな可能性を考える想像力は必要だよ。

次こう来たら、自分はこうしよう・・という作戦を考えとかないと。

理論的な相手に対して感情的に意見をぶつけても殺しあうだけだろ。

ちゃんと二人の意見の落とし所を見つけないと。

目的がはっきりしてなきゃ、戦っても消耗するだけだ。


常に100%実現しようとしなくていいんだ。

世の中、自分の思い通りになんかいっちゃくれない。それを承知の上で「68%」実現できたらよしとしよう。

はじめから68%の力でいいなら、他のことを考える余裕も生まれるだろ?

「0か1かじゃなく、0.5を考えられるようにならないと。仕事なら0.7か8」



自分の仕事の話も織り交ぜながら、大人になった彼は実に的確な助言をくれた。

私は自分の変わらなさを痛感しながら、ただただ感心してうなずくばかりだった。

ただ慰めるだけじゃなく、ちょうどいい加減で突き放してくれるのが嬉しかった。


久しぶりにウィスキーなんか飲んじゃって、店を出る頃には、ぽわんとしていた。

1時20分・・お互いの家のある方向を指し示すような針の位置をぼんやり確認していると、

「大丈夫?帰れる?」と、訊いてくれた。

「うん。大丈夫。今日はありがとね」と、軽く手を上げ、

一人でこの道を歩いていこうと思った。





数メートル先でふと振り返ると、あいつはまだ笑ってこっちを見てた。





 

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9月になりましたね。


みなさんどのようなお気持ちで新しい季節を迎えられたでしょうか・・

080904_0519~01.JPG

私はプライベートではある一つの区切りがありました。

自分の甘えや苦しみの原因になっていたものを断ち切って、

新しいスタートラインに立ったぞという気持ちです。


今まで仕事で体力を奪われて、あまり趣味に打ち込めていなかったのですが、

これからは両方ちょうどいいバランスで取り組んでいけたらと思っています。


趣味というか、勉強というか・・私のライフワーク『国際交流』です。

この間、イベントに参加したとき、日本人なのに自分はお茶の作法をまったく知らないということに気づきました。

お友達になった内モンゴルの女の子がそんな私のを、みようみまねでやっているのを見て焦りました。

「こりゃいかん・・!」と思いました。

礼儀作法や、所作の美しさを身につけるのにも役に立つし、

今仕事でOn Japanや、日本美術の棚をさわっている時も、岡倉天心の本が気になるのです。

あ、そうそう去年の3月にアメリカから4人のFriendsが遊びにきてくれた時も、

「京都館」でお茶体験をしようって提案をしたら、みんなはそれが、

どんなものかも知らなくてきょとんとしていたのですが、実際に先生に教わってみたら、

”Sari, it was fun☆★Thank you☆"と、みんな喜んでくれました。

温かくも厳しい先生に習い、うれし恥ずかしそうにしながら、一生懸命真似をしている姿がなんともいえない・・

私は外国の人がそういう風に日本文化に触れて、いろんな表情をするところをみると

なんだかとても胸がいっぱいになるのです。


18歳で社会に出てから、いろんな苦しい道を通って、

20歳でいっとき自分を見失って社会と離れて、自分の根を深く見つめて伸ばす時間をもうけていました。

自分の生まれ持った感覚が、この世の中で生きることの障害になっているような気がして、

そのことを責め続けて、死にたくなるぐらい苦しかった時間、

両親の愛と、昔の恋人だったある男の人の優しさに救われながら、21歳で今の仕事に導かれました。

そして少しずつ少しずつ何が自分の幸せかを思い出しながら3年ほど支店で修行をしていました。

今はその場所は跡形もなくなってしまったけれど、大切なことは全部私の体の中に記憶されています。

本店の洋書売場にお声をかけていただいて、私の喜びのキーワードがいっぱいつまった空間にくることができました。

「外国人」

「言葉」

「知識」

「文化」

そこに触れることのできる毎日のなかで、さまざまな人に出会い、吸収し、

次のドアを開ける時が近づいてきました。

みなさん、すっかりご無沙汰しております。

いよいよ夏になりましたね。

暑い毎日ですが、みなさんお変わりないでしょうか・・

わたくしの方は、色々と身の回りで変化がありました。


まず一つ。

支店を卒業し、本店勤務になってから2年間ペーパーバックやELT、On Japan といった洋書の棚を担当しておりましたが、今年の5月から和書・洋書共に写真や美術・デザインといったビジュアル書をメインに触らせていただくことになりました!

流通のしくみや、荷物の裁き方など、洋書とはまったく勝手が違うので最初は戸惑うことも多かったのですが、優しくて丁寧なM先輩のご指導や、あったかくてめんどうみのいいスーさんの心強いバックアップのおかげで、少しずつではありますが和書の仕事にも馴染んできました。

不思議な縁で母は昔、美術やデザインに深く携わっており、扱う本を見ていると私も小さい頃から母のデザインデスクで見たようなタイトルが沢山並んでいるので、親しみを感じます。

また私自身は写真を撮ったりすることが好きなので、ふっと手にした写真集に心ひかれて立ち止まることもあり、こうして少しずつ広がっていく新しい世界にとても新鮮な感動を覚えます。

東京にも年々、アートスポットが増えてきましたね。
今までは伝統芸能と下町歩きをすることが多かった休日ですが、これをきっかけに、興味深い展示のある場所へ足を運ぶ機会もちょっとずつ増えてきました♪

cont_619_3.jpg今週は京橋の『フィルムセンター』というところにいってきましたよ。

近くの銀行に記帳をするついでがあったので、母に道を尋ねると、「じゃあ近いからフィルムセンターに寄ってみたら。母さんも前からここに行ってみたかったの。西島秀俊もこの場所が好きでよく見に来るらしいよ。」という声をきっかけに、足を運ぶことになりました。

映画にお詳しいごみつさんは、ひょっとしたらご存知かも知れませんね。(^^)

この施設は元々ひとつであった東京国立近代美術館の映画部門が独立してできた建物で、以前は『福宝館』というだったのだそうです。

一歩足を踏み入れるとまず、モノクロの無声映画のスクリーンの向こうに、エジソンやリュミエール兄弟が発明した映写機が展示され、その奥には蒸気機関車を思わせるような大きな大きなドイツ製の機械が、堂々たる迫力でそこにどしんと立っています。よく見るとレンズに焦げたあとや、塗料の剥げたあとがあって、実際に当時の人が使っていたんだなということを、実感できます。

日本に初めて映画の技術が入ってきた明治時代から、その後の戦争とともに多くの作品が失われていきましたが、ここにはわずかに残された貴重な映像(活動写真)や、セピア色の製作風景、そして肉筆の手紙や台本、セットデザイン、映画宣伝用のポスターなどが、世界の動きやその時代の流れにそって、ちょうどいい分量で並べられていました。

さきほど紹介したドイツ製の巨大な映写機の向こうには、一人で座って無声映画を楽しめるちょっとしたスペースもありました。

無声映画をみるのはこれが初めてでワクワクしました。

最初に女の人が洗濯物をしながら、近所の女性に話しかけている映像がながれ、そのあとにセリフが手書きの文字でスクリーンに映し出されるといった具合です。
モノクロで映し出される当時の生活や服装やメイク、そして路面電車など町の風景。

そして映写機のカタカタカタ・・という音や、別のブースから時折、プツッ、プツッと途切れ途切れに聞こえてくる音声にいざなわれ、親よりももっと前の日本を生きていた人々の時代に思いを馳せました。

ショートフィルムでしたが、しっかりと当時の雰囲気を味わうことができました。

明治31年から昭和45年までを生きた映画監督・内田吐夢の作品『警察官』の撮影が終わったあとに、清々しい顔で肩を抱きあう俳優さんたちの写真がとても心に残りました。

昭和に入り、テレビジョンがカラー放送へと移った時代には『ホームマイホーム』というペーパークラフトのアニメーションがあり、マイホームを夢見たキツネとモグラが地面の上と下で、走って競争するという微笑ましい作品に心が和みました。こういう素朴で手作り感の溢れる番組というのは、もう子供の頃にみたのが最後だなぁ・・と少しさみしい気持ちにもなりました。


このフィルムセンターの7F展示室では毎回、何ヶ月かごとにテーマを変えて楽しむ展示もありました。今期の特集は『映画の中の日本文学』。

japaneseliteratureinmovie.jpg稗田阿礼の『古事記』から始まり、源氏物語などの時代から、
三遊亭円朝の怪談『真景累ケ淵』、鴎外、一葉、漱石、乱歩・・と私達にとっても馴染みのある作家たちの写真とプロフィールの下に、その原作を映画化した作品のパネルが展示されていました。

こうしたものをゆっくりみて歩いていると、子供の頃からつづいている「言葉がすき」 という気持ちや、今本屋で働いていること、携わってきた仕事のなかみ、これから日本の色々を世界の人に伝えていきたいと思う気持ち・・すべてが繋がったような気がしました。

自然に導かれてきたようにも感じるけれど、それはやはり自分の心が求めていたものだからこそ繋がった縁なんだな・・と、深く感じると同時に、これからもっといろんな切り口から、日本や世界をみてみたいという好奇心がわいてくるのを感じました。

時間とお金を上手に使って、もっともっと外の世界に向かって、自分の五感で多くの事を吸収していけば、一年後、五年後、十年後の自分はもっと心豊かに、そして沢山の引き出しをもって、海外の人と接することができるだろうと思いました。

将来やりたいことについて勉強したいことは多方面に渡っていて、範囲が膨大だったので、何から取り組むべきなのか、今一つ自分の姿勢を決めかねていましたが、たとえば今回のように母の誘いで足を運んだフィルムセンターでみたものからきっかけをもらって、興味のある時代や人や作品を探求したり、このまえ聴いた落語をもっとじっくり紐解いてみたり・・

その時目の前にある風景を心いっぱい楽しみながら、何かを感じ、考え、意見を発して、広げていくことで、少しずつ自分の望んでいる方向に自身を導くことができるのではないかと感じました。

ここしばらく色々と大きな変化があって、なかなかゆっくりと「書く」時間をもたずにいましたが、多少文章としてのまとまりに欠けたりするようなことがあったとしても、ちょこっとでも空いた時間を見つけて、その時感じていることを、その時の心のままに言葉で綴り、残していくことも大事だなと思いました。


最近、うれしいこといっぱいありました。

写真アップしたり、文章書いたりしたいのですが、もうちょっと待っててください。

いつもありがとうございます。(*^^*)♪

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雨に打たれても風に吹かれても、ただじっとそこに根をはり、堂々と広がる桜。長かった冬がようやく終わったんだ。あぁ、やっと春を迎えられたんだな・・

そうしみじみ感じられるのにはちょっと理由がありました。
 

ワンルーム14畳に対して、多すぎる本と衣装と家具。机ひとつで母と私のエリアを区切り、四方八方自分より背の高い家具に塞がれて、寒さと狭さに身を縮こまらせて眠る毎日。寝ても起きても体が重く、心も解放されず「さむい・・ねむい・・」と、家にいてもまったく活動しない私を見かねて、とうとう母が大規模な部屋の模様替えを決意。
慎重に長さを測り、重たい思いをして隣町のホームセンターから組み立て用の本棚をうんせと二人で持ち帰り、試行錯誤の末ようやく完成!


陽の当たる場所、大きな机、すっきりした本、お気に入りのステレオ・・そして大の字になれる寝床・・あぁ感無量・・広々としたスペースに移ったので、これからは心機一転、やりたいと思っていたことどんどんやっていこう!と、決心しました。

こうして一週間ほどかけて、おおかた部屋も片付いた休日のお昼過ぎ・・母と私はいよいよ花見支度を始めました。

隅田川沿いに住んでいる私達母子のこの季節の楽しみは水辺の公園の桜とお弁当。

いつもは二人が仕事を終えたあと、まだ少し寒さの残るなか夜桜を見に行っていましたが、
今年は温かいうちに外へ出ようということになりました。

啓蟄を迎えた虫のように元気になった私もようやくやる気がでてきて、母の手料理をひとつひとつ受け継いでいこうと積極的に台所に立ちました。

我が家のお弁当には「ほうれん草のたまご巻き」というのが必ず入っていました。ちょうど細い巻き寿司を切ったような形をしていて、たまごは外れないようにつまようじでとめてあり、噛むとたまごの甘みとほうれん草のおひたしがちょうどいいバランスで、遠足の日はそれをつまむのが一番の楽しみでした。

今日はほうれん草がなかったので、菜っ葉のおひたしを箱の下側に、上のラインには卵焼きを並べて、菜の花に見立てようという母。このあたりはなるほど、長年デザインの仕事をやっていただけあるなと感じました。こうして私はまずオーソドックスなたまごやきづくりから挑戦することにしました。


しばらく使っていなかった子供サイズの小さな四角いフライパンを手にすると、たしかに昔、踏み台にのって母と一緒に作ったな・・ということはかすかに憶えていましたが、具体的な手順やコツなどはまだ知らないまま・・

 

私は最初に「お手本をみせて」といいましたが、母は「とにかくまずやってみなさい」といい、すぐに卵を流し込まれました。どうやるんだっけな・・と、ちょっぴり焦っているさなかにも卵は少しずつ硬くなっていきます。結局、最初は”スクランブルの包み焼き?”というような感じになってしまいましたが二度三度と、諦めずに作っているうちに、母が最初に言っていたことがなんとなく手の感覚でわかるようになってきました。

 

シンプルなたまご焼きのほかに、明太子入りのたまご焼きをつくってみよう!と、今度は私のほうから投げかけました。以前、高校時代の親友と10年ぶりに再会したときに連れてってもらった和風ダイニングで食べたものでした。

 


私のなかでは「こんなやつ」という画がちゃんと浮かんでいましたが、母は最初、それがうまくイメージできなかったようで、口で説明はしたものの、どうやら捉え違えをしてしまっていたらしく、今度は母があたふたしていました。そこで私が舌の記憶を頼りに、きっとこうやって作るんだろう・・と、やってみたら大成功!ふわっふわのとろっとろ。おいしい明太子入りたまご焼きがついに完成☆

 

おにぎりもちょうどいい形に握れました。それから母がこの日の為に買い揃えておいたお肉やお惣菜を詰め込んで、水筒、割り箸、おてふき、カメラ・・全部が整い、いざ出発!両手にピクニックの荷物を抱えて、私は子供のようにそわそわそわそわ・・


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           (写真をクリック☆大きくしてお楽しみください♪)

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朝から吹きすさんでいた大きな風も、その時には少し落ち着いて、下町の路地にはぽかぽかとやわらかな陽射しが注いでいました。木陰のベンチではおばあちゃんが昔ながらの渡し舟をスケッチ。カメラをかまえてすぐ、去年も別の桜の下で赤い小橋を描いていたおばあちゃんだと気づきました。公園を歩けば噴水のまわりではしゃぐ子供達。ここにいるすべての人たちがみな、
春を喜んでいるようでした。

 

階段をおりて川沿いにくると、芝生の上にちょうどいいベンチがありました。ようやく荷物を降ろし、向かい合ってお弁当を広げたところで、母の写真を一枚。毎日の勤めで多少疲れも残っていたようですが、ちゃんと心から笑っている顔でした。

 

しばらくすると、ひょこひょこと鳩たちが「あ。ごちそう。いいな~ちょうだ~い。」というような顔でおもむろに近づいてきました。すると母はまるで村の賢いおばあさんのような口調で

「目を合わせるな」

と、すかさずいいました。

「目を合わせるとあいつらは調子にのってどんどんくるから」

そんな長老の教えを受け、私も物欲しそうな鳩を尻目に、ごちそうをほおばり続けました。
おにぎり、お肉、菜の花、筍・・と、選ぶのが本当に楽しく、パクパク食べていたら口がもごもごしてきたので、仕事場で使っているのと同じ水筒を、いつものようにガバっと口に傾けると、入っていたのはなんと熱いお茶!一瞬にしてやけどをしてしまいました。


「なぁにやってんの。だからさっき家で熱いの入れたから飲む時気をつけてっていったじゃん!」

あぁ、そうだったよな・・と、私も熱い思いをしてから思い出しました。

「そういえば、お前はちっちゃいときもうっかりストーブの上に座っておしりにやけどしたことあったね・・ほんとにばかだったんだねぇ」

と、二人で大笑い。それから色んな昔のたわいのない出来事を二人で思い出して盛り上がりました。

 

普段、どこかの店で外食をすると「なんだか贅沢をしているんじゃないか・・」と、不安がってなんとなく大人しくなってしまう母も、今日はいっぱいおしゃべりをして、なんだか楽しそうだったので私も安心しました。

 

段々風も出てきたし、おなかもいっぱいになってきたし、鳩もこりずにやってくるので、そろそろお開きにしようということになりました。

 

やけどしたあとビールで冷やしたので、ほろ酔いですっかり眠くなり、陽だまりのなかでふーっと体の力をゆるめると、とても気持ちよくなりました。

 

小さい時は、(どうして父さんはいつもお弁当を食べるとすぐ一人で寝てしまうのかなぁ・・)と、ちょっぴり寂しく思っていましたが、今日ようやくその気持ちがわかりました。


そうか、父さんもその時こんなに幸せだったんだなぁ・・




 

広げた荷物をかばんにしまい終わると、母が

「やけど痛そうだからソフトクリーム買っていこう」

と、いいました。近くのお店に入るとコーヒーのいい匂いがして、おいしそうな手作りパンも並んでいたので、明日の朝食にひとつずつ選びました。
 

帰り道、荷物いっぱいの互いの手がぶつかると、母はぎゅっと握って、

「お前の手はいつもあったかいねぇ・・」と、いいました。

 

そして子供の頃のわたしの口まねをしながら、

 

「かあしゃんのおててはいつも冷たいねぇ。
大丈夫だよ、しゃりちゃんがあっためてあげるからね」

 

そういいながら、よく小さい両手でさすってくれたんだよ、と話しました。

「あの頃のお前はどこにいっちゃったのかなぁ・・」と、ぼやいている母の横で笑いながら、(今日のことはずっと覚えていよう・・)と、
お堀の桜を見上げ、あらためて一つ一つを心に焼きつけました。

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Me
HN:
沙月
年齢:
43
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
お休み中・・・
趣味:
写真・語学・ダイエット・料理
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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