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これといった理由はなかったけれど、しばらく書くことから離れていた。

書きたいことはたくさんあったけれど、あまりにもその出来事が大切すぎて
自分のつたない表現力では書ききれないような気がしていたからかもしれない。
それでも季節が変わると、真っ白なままであるこの場所が「書きなよ」と私を呼び止める。
16歳のとき、国語の授業で『羅生門』の感想文を書いてから、
言葉を使って自分の心に映った風景を描くことが好きになった。

それから9年の間、折にふれ綴ってきた「今」を読み返すといつも、
その五感のすべてで味わっていたその時間が胸に広がってくる。
 
なんとなく書けずにいた長い時間を経て、今、
そんな感覚をもう一度味わいたい気持ちになった。

忙しさに押し流されて消えてしまうことのないように、その日の色を残す。
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本日2007年1月31日をもって、私がお世話になった支店が、
その短い歴史に幕を閉じました。

今日は本店の業務が早番で終わりだったので、すぐに着替えて、
制服をもって支店へいき、そしてまた制服に着替えて最後のカウンター業務を、オープニングの仲間たちと一緒にやりました。

お得意さんだった人たちも、みな口々に「残念だね、寂しくなるね・・」とお声をかけていってくださいました。

以前、私が本館のビルのエスカレーターで
「あの雑誌の付録のワインがまだ残ってますよ」とご案内したのがきっかけで、よくおつきあいさせていただいた女性の方にも久々にお目にかかり、最後にごあいさつすることができて、とてもうれしかったです。

そして、お客様のいなくなった3Fから順番に電気が消え、
最後に帰られたお客様は笑顔の素敵な背の高いご年配の男性でした。

その人が店を出る間際にもう一度、その背中に向かって
「ありがとうございましたー!」と、みんなで頭を下げました。

こうして、とうとうこのお店の扉が閉まりました。

あまりにも早く、あっけない最後でした。

オープン当時の店長であり、今の本店1Fのフロア長であるKさんも
仕事を大急ぎでこなし、スーツ姿でかけつけ、最後までずっとにこやかにこの店と、みんなのことを見守ってくださいました。

最後の晩餐は、ビルの1F~3Fまでを貸してくださったある通信社の
ご厚意で、併設されているレストランから豪華オードブルを手配していただき、店の1Fにテーブルを並べてうちのスタッフと取次店と、その通信社の方々を合わせて16名で行いました。

その会社は偶然、私の地元の町に新しい施設をつくっているようで、
視察の帰りに寄った名物店の焼豚も差し入れに、もってきてくださいました。

それからおいしいスパークリングワインや麦焼酎などをいただき、
ひとしきり盛り上がったあと、通信社の代表の方がこの店のスタートからのことを話し始め、

皆一斉に視線を注ぎ、耳を傾け始めました。

どのようなコンセプトのもとに、どのような人たちの思いでこの店が開いたのか、そしてこれまで、その通信社の方が、河上さんやうちの上層部とどのようにして、この店を盛り上げようとしてくれたか、私たちが今まで知らなかった様々なエピソードを聞かせてくださり、最後に

「この店は今日でなくなってしまいますが、みなさんはこの店が、
そんな夢のもとに開かれた店であったということを、
どうか忘れないでください」

と、温かい口調で語りかけてくださいました。


次に、この店を立ち上げ、本の事を何も知らない私達を0から育てあげてくださったKさんが、


「まず感じることは、非常に寂しい・・ただただ寂しいという思いです。

せめてあともう一年がんばれれば・・と、本当に今でも思っています。

けれどここでみなさんと手探りでやりとりしてきたことは、

僕は一生忘れませんし、これまで培ってきたことは

これから本店で生かせるよう努力してまいります。

みなさん3年半、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。」


という言葉で締めくくりました。


そのお二方の言葉にぐっときました。

でも、ここで泣いてしまうのはなんだか違うなという気がして、
拍手をしながらずっとこらえていました。


そんなことを、帰宅した今こうして思い返していたら携帯がなり、
スピッツの「Y」という曲が流れてきました。


”悲しいこともある だけど夢はつづく 

目を伏せないで 舞い降りる夜明けまで・・”


これから会社はどんな風になっていくのかわかりませんが、
私は私に与えられた使命を精一杯こなしながら、
これからも諦めずに心を込めていい店を作っていこうと思いました。

奇しくも「Y」はこの店の頭文字でもあります。

小さくて、めだたない場所にあったけれど、たくさんの人に愛されて、
そして私の21歳から24歳までの大切な人生の時間がつまったお店でした。

今まで足を運んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。

これまで私達の知らないところで、この店の屋台骨を支えてくださった方々、本当にお世話になりました。

私はこの店に出会えて本当に幸せでした。


今日はあの巨匠、シドニー・シェルダンがこの世を去りました。

今日帰る前に土台をつくってきましたが、あしたは朝一で出社して、
またお客さんが思わず足を止めてみたくなるような棚をつくってきます。


では、みなさん、おやすみなさい。

 

みなさま、あけましておめでとうございます。

2006年は大変お世話になりました。

こちらへの異動のお話をいただいた時は、

こんな自分に務まるのかとても不安でしたが、

温かみあふれるみなさまから、たくさんの知恵や力をいただきながら

多くのことを吸収でき、24年生きてきた中で最も素晴らしい年になりました。

本当にありがとうございました。

私はみなさまとお仕事ができ、とても幸せに思っています。

今年も何かと足をひっぱってしまうかもしれませんが、

日々の出来事を振り返りながら、笑顔をたやさず

心をつくしてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

sunrise.jpg

 

今朝、玄関先で空にカメラを向けたら

偶然こんな写真が撮れました。

どうぞみなさまにとっても幸せな年でありますように・・・

 

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Me
HN:
沙り
年齢:
42
HP:
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
セレクトショップスタッフ
趣味:
ジョギング・写真      伝統芸能・祭・旅
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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