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今朝、出勤前に耳鼻咽喉科へ寄りました。

今日まで知らなかったのですが、私は扁桃腺が一般の成人に比べて大きいそうです。

ふつう、扁桃腺は細菌から喉を守るため、子供の頃は大きいのですが、年と共に抵抗力がついて必要がなくなるので退化して小さくなるのだそうです。

でも私の場合は粘膜が元々弱いこともあり、疲労で抵抗力がなくなってしまうと、そこに細菌が入り込んで炎症を起こしてしまうのだそうです。それが高熱を引き起こしていた原因でした。

今日は、まず鼻から薬を吸引する処置をしてもらい、そのあと5つの薬を処方してもらいました。

フロモックスと、ロキソニンってきいたことありますか?

以前、親知らずを抜いた時にもこの2つは処方されました。前者が感染症を抑える薬、後者が激痛を止める強い薬です。

そして今回初めてムコダインという粘膜修復作用のある薬を飲むことになりました。
あとは抗生物質で胃を傷めないようにするためのムコスタという錠剤と、アズノールうがい液です

うがい薬って、茶色くて苦いってイメージがありますよね?

でも、私がもらったのは藤色のきれいな薬で、しかも嫌な味が全然しないんです。

よかった・・紅茶でうがいするのも、ちょっと苦手だったもんで。
これなら続けられそうです。しばらく、これで喉の洗浄に気を配りたいと思います。

しかし、喉の一部が腫れただけで、あんなに熱が出たり、声が出なくなったり、人間の体って不思議なことがいっぱいですよね。

本当にここ一、二年で、それまで二十数年間いったこともないような、色々な病院にいく機会が急に増えて、自分の体の急激な変化に驚いてます。

でもそのおかげで、二十何年も大した努力もせず、ふつうに生きていられた事自体が、物凄い奇跡だったんだと思い知らされました。

食事の栄養にいつも気を遣ってくれている母の存在はそれほどまでに大きかったということなんだなぁ・・


今日は一日の仕事を無事に終えて地元の駅に降り立ち、改札に向かう階段を上っていく途中で、

(人類が誕生して、言葉や道具が何もなかった時代から、古代、近代、現代と大きな時間の流れのなかで少しずつ色んな発見をして、ここまで沢山の人間の体の不思議が解明されていったのは本当にすごいことだなぁ・・)

と、ふと思ったりしました。


やがて家に帰りつき、玄関のドアを開けてくれた母が今度は咳き込んでいました。

これはワンルームの宿命といいましょうか・・必ずどっちかがひくとすぐにうつってしまうんですよね。

それでも一日も仕事を休むわけにはいかず、母も今日は家で明日の仕事の準備を進めていたら、
昼間、築地に本店をかまえるおいしいお豆腐屋さんの引き売りの音が聴こえてきたので、
急いでリアカーが止まっている橋のふもとへ向かい、私が今一番気に入っているそこの特製の豆乳と、
ところてん、そしてざる豆腐をわざわざ買っておいてくれました。

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「こちらのざる豆腐は一口目はそのまま、二口目からはお塩をかけてお召し上がりください。」

ということで、うちでは岩塩をかけていただいてみると、もめんと絹のいいとこどりをしたような
ほどよい口当たりで、なめらかなのに食べごたえがありました。さわやかな豆の香りと冷たいのどごしが
今日の二人には一層おいしく感じられました。

母も「値段も見ずに買っちゃってあとでびっくりしたけど、今日はいいよね」と笑っていました。

そうして夕食を終えると、また辛そうに咳払いをしながら眠ってしまったので、代わりに私が食卓をすべて片づけました。


そうして今、この真夜中にパソコンに向かっている・・というところです。

今朝、私の勤めるゲストハウスに以前泊まってくれたタイのお客さんと、今朝たまたまfacebookで居合わせ、めずらしくチャットで話しかけてきてくれました。

「最近どうしてる?」と、お互いにちょうど同じタイミングで質問したので、

今の体調の事を答えようとしていたら、先に彼の方から

「sad.. my city is still burning.」

と、とても悲しそうに呟いていました。

以前、今問題となっているタイの抗争のニュースを家で見ていた時に、私が

「日本の政権もいつも危ぶまれているけれど、だからといってこういう激しい暴動が起きたりしないよね?
世界ではいろんなところでデモが起きたりしているのに、日本人はどうしてじっと我慢してるんだろう。」

と、改めて母に問いかけた事がありました。

「日本は戦争に負けたことで、こういう争いを起こしても何も実を結ばない事を、ちゃんと教訓として得ているからだよ。」

という答えが返ってきたのを思い出しました。


すると今日、そのタイの青年は

You have descipline to respect each other, right?

私にそう問いかけました。

彼は、同胞たちがいかに無益な争いをしているかを知ってほしいと思っているようで、
日本からそういう心を学んでほしいと語っていました。

私はうなずきながら、今タイのホステルで働いている元同僚の話をしました。

今のゲストハウスでまだ研修中だった頃、私の一ヶ月あとにやってきた女の子がいました。
その子は、昔別のホテルで働いていた経験もあり、飲み込みも早く、英語も上手で、おちゃめでとても愛嬌があり、仕事仲間からもゲストからもとても人気のあるスタッフでした。

以前その子がタイに行った際に、バンコクにとてもいいホステルがあり、とても気に入っていたのだそうで、そこのスタッフとも仲が良かったそうです。

そして一緒に働き始めてから、半年ほど経とうとしていたある日、そこのホステルのスタッフから「うちで働いてみないか」というお誘いがあり、いろいろ悩んだ末、行くことにしたと彼女から告げられました。

年も近く、気さくで一番わかり合える子だったので寂しかったのですが、私も彼女には色々な世界をみてほしいなという気持ちがあり、彼女の決断を応援することにしました。

そうして、ついに今年の2月、彼女は日本を発ったのです。

しばらくは現地の楽しそうな写真がfacebookにいっぱいUPされていましたが、
先月、突然「眠れないよ」という書き込みがあったので、どうしたのかと思っていたら、
ニュースであちらが大変なことになっているのを知り、毎日事態が深刻化していくのを聞くたびに心配になっていました。

幸い、現地に友人が何名かいるようで、「今はその人たちと安全な地域に滞在しているから大丈夫だよ」
という返事がありましたが、私も彼女を訪れる機会はしばらく見送ることにしました。

タイの青年も「今はそれが賢明だよ」と言いました。

「地元の人はどこが安全か危険かは把握しているから、その子はきっと大丈夫。
でも、これから初めて訪れるなら、次の機会にした方がいいよ。その時は連絡してね!」

と言ってくれました。

出会った時は、とても精悍な笑顔だった彼の悲しみを受け止めながら、

「私には祈る事しかできないけれど、少しずつ状況が良くなることを毎日ずっと願ってる」

と、彼に伝えました。

会話の最後に彼が「Keep in touch..」と、呟いたその文字から、切なさが伝わってきました。


こういうことを目の当たりにすると、なんだか健康なのに将来の為にもっと努力しようとしていなかった
自分はものすごくもったいない生き方をしていたなと反省しました。

鍵の管理や、荷物の管理、お金の管理とこれらだけでも気を遣うのですが、予約入力もまちがえてはいけないし、部屋や館内の整備、旅の案内や、トラブルの解決などなど、一日の中でやることはてんこ盛りで、
閉店まで問題なく業務を終了するだけで本当にいつも精一杯で、休みの日はいつも気力も体力も使い果たしたような気になっていました。

お客さんともっと楽しく交流するためにも、もっと色々な国の言語を習得したいし、もっと勉強にも打ち込みたいけれど、いつの間にか忙しさに飲み込まれて続けられなくなっている自分が嫌でした。

学生の頃みたいに一つの事に熱中したいって気持ちと、今週これだけがんばったんだから今日は自分を甘やかしたいという相反する気持ちがいつも私の中にあって、休日を有意義に過ごせないことも多く、リラックスしすぎていることになにか罪悪感をおぼえて居心地が悪いような思いがしていました。

以前、この日記で紹介した「K」という、目標とすべき人が職場にはいて、その人のようになりたいと思う反面、私には到底無理だなと、ついコツコツ努力を積み重ねることから逃げてしまっていました。

でも、考えてみれば生まれた環境も、もっている感性も、与えられている立場も何もかもまったく違うのだから
比較していることがそもそもナンセンスだし、「続けることが大変だから」というのは、何もやらない理由にしてはいけないと思いました。

38.1℃の熱が出たことは、社会人になってからは初めてで、「こんな状態でも本当に私は仕事に行くべきなのだろうか・・・」という思いはちらりとありましたが、「今日はチェックイン・アウトが多いし、掃除の人手だって足りないんだから今自分が休んだらダメだ」という思いと、「どんなに自分の体調が悪くても、はるばる外国から来る人のために何か不備があってはならない」という思い、そして「声はかすれているけれどもなんとか笑顔で・・」という思いで、どうにかこの二日間どうにか乗り切りました。

お医者さんによれば、扁桃腺が炎症を起こした場合、一旦は熱が下がったと思えても、またじわじわと上がっていってしまうのが特徴でこれをスパイフィーバーというそうです。

たしかに今も熱がありますが、こんな思いをしなければ、日頃の運動や食事がどれだけこれからの自分にとって重要か、そして母がいかに大変な思いをしていたか実感できなかったと思うし、健康だった時よりもむしろ
今の方がファイトが沸いてくる気さえします。

この一年の仕事のなかで出会った人との会話、そして目標としている人が使っていた上手な英語表現、それから自分の今のことを伝えるのに調べた言葉・・片っ端から電子辞書に登録しておきました。

最近はそれらを振り返ることすらしていなかったけど、もう一度ちゃんと見ることから始めたいと思います。

あとは少し体と栄養のメカニズムを知って、今後に備えよう。

今のままじゃ、本当に将来心配です。

健全な体がなければ、私の助けを必要としている外国の人たちに何も伝えることができなくなってしまうから。

ただ休むだけでなく、今の自分を知って、必要な手当てをしていくこと。

明日、お客さんと話す時に伝えたくなるような「今」を生きてみようと思いました。
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今夜、突然声が出なくなりました。

 

風邪の悪化だとは思うのですが、それにしても痛すぎる。

 

 

昼間はちゃんと食べられたのに、家に帰ってきて母の作ってくれた野菜スープを一口飲んだ瞬間にビリリ!っと両耳まで突き抜けるような痛みが走り、五口目でついにスプーンを置きました。

 

 

アイスなら大丈夫だろうと口に運んでみましたが、どんなものでも喉に流れてくるだけで痛い。飲み込むことがとても辛い。空気を吸い込むだけでも痛い。

 

 

仕事中はなんとか持ちこたえたのに、帰ってきた途端にこんな状態になってしまって・・


今朝、体温計ったらなんと38.1℃もあったんです!ここまで上がったのは小学生の時のインフルエンザ以来じゃないかな。

だけど、こんな状態でも早番1人、遅番1人の体制だから「今日休みます」なんて絶対言えなくて、手すりにつかまりながら根性で駅の階段を降り、いつもの地下鉄に乗り込みましたが・・・

 

チェックインの案内をしててもむせちゃうし、お客さんに「ダイジョウブデスカ?」って言われちゃうし・・

ちなみに、フランスから来たあるお客さんは割とあからさまに聞き取りづらそうにしてて、予約の詳細見せて料金の説明をしても、あまり最初は信用できないような顔してたけど、オーストラリアから来たあるお客さんは、何も言わなくても、私が別のお客さんの対応をしている間もちゃんと待っててくれて、嫌な顔一つせず心配してくれました。(笑)

しかし、普通自分の旅先でこんな辛そうにしゃべる人に案内されたら誰だって不安になっちゃうよね。
だから切なかったけど今回は、その冷めたフランス人の正直な反応を見れて良かったと思います。 

情けない事に、今
の店舗にきてからもう5回ぐらい風邪を引いてる気がするんです。

 

 

きれいなオフィスなんかと違ってそこまで行き届いた暖房があるわけじゃないし、毎日が掃除の連続なので、知らない間に雑菌を吸い込んでしまうというのもありますしね。

あとはここ数年の異常気象による気温の乱高下も影響してますね。

 

 

体温調節がうまくできていない気がします。あとは免疫力の低下かな・・

25歳を過ぎた辺りから、自分の体のいろんなところがちょっとずつ変わってきていると少しずつ自覚し始めたところでしたが、大きな問題が起きないとなかなかそういったことの重要性に気づけなくて、日頃の怠惰を最も深く反省したのが、今日でした。

 

もっと自分のコンディションを客観的に見なければいけないんですね。

 

必要な栄養の摂取と運動、それから医学的な情報の収集も大切。

それらをもっと積極的に行って、自分自身をもっと真剣にケアしていかなければならないと思いました。

 

自分が風邪を引くと、お客さんにも一気にうつってしまう可能性があるし、職場の人にも迷惑をかけしまう。熱が出れば、苦手な計算はもっと危うくなるし、管理が必要なこともうっかり見落とす可能性だってある。

 

「たかが風邪」ではないし、私一人の問題じゃないんだと、改めて思い知らされました。

今朝起きた時はフラフラで、帰ったらすぐにでも寝込んでしまえそうだったけど、一日の仕事をなんとか無事に終えたあと、この痛みを忘れないために今夜のうちに、ここに綴っておこうと思いました。

 

明日は仕事へ行く前に耳鼻咽喉科によっていきます。

そして、あさっての休日はもっと健康的に過ごそう。

 

昨日の朝方、携帯が突然鳴った。

それは知らない番号からだった。

こんな時間にかけてくるような顔は思い当たらず、ふたたび横になろうとしたその瞬間、

カーテンの向こうがわに煌々とした光が透けて見えた。

何だろう・・と窓を開けてみると、夜明け前の低い夜空で、まんまるに輝く月。

東の空は少し明るくなり、初日の出がのぼり始めているけれど、

こちらがわではまだ大晦日に上った満月が、じっとゆっくり地平線に向かって動いている。

それは、とても特別な光景のように思えた。



私はどうして今、この二つを同時に見ることができたのだろう・・




あれから20時間が経って、再び自らに問いかけながらこの風景を書き起こしてみると、次第に

社会に出てからの自分自身と、

これまで育ててきてくださったすべての方々の強く温かい存在が重なって見えた。



声のない留守電のメッセージが導いた先に見えたのは、

すべての人の思いを全身で受けとめながら、手探りで歩いてきた年月の幕を

ゆっくりと下ろしていく姿だったのかもしれない。




IMG_0579.JPG
 







ある時も年明けに神秘的な光をみたけれど

それとはまったく違う空気をまとった光が

静かなる凄みをもって、己の立つ場所に差し込み

意志の力を与えられたような気がした。



あの月はまたきっと自転をしながら、次の場所を照らそうとしているのだろう。


強く温かな光を身に受けながら・・


 



 あけましておめでとうございます

IMG_0580.JPG

昨年は本当にお世話になりました。

みなさまにとってどんな年になりましたでしょうか?

私の2009年を漢字一文字で表すならば



どんな波も受け止めながら泳ぎつづけた先に広がっていた景色

その向こう側から訪れてくる旅人たちとのふれあい

この先も果てしなくつづく深く大きな世界・・

六年間私を育ててくれた場所を離れ

意を決して飛び込む勇気を下さり

見守りつづけて下さった皆様に

心から感謝いたします

沙り




 

おとといは結果3軒もはしごをしてしまい、うつらうつらしながら、みんなとバイバイしました。

酔っていても帰りの方向だけはまちがうまいと、カっと目を見開いて、両国方面であることを確かめて電車に乗り、しばし目を瞑りました。

そして目を開けると、なんとまさかの国立競技場!(笑)地元駅はとうに過ぎておりました。

戦闘不能な自分との競技は、折り返しの電車の中で繰り広げられ、見事打ち勝って地元駅到着!

本来ならばわずか10分の距離を1時間かけた末、0:30過ぎにようやく帰宅。夜中の3時半に目が覚めてしまい、寝るに寝られない状態に・・そこで、先日もってきておいた『東京メトロ』の行事案内に手を伸ばしました。

「入谷の朝顔市、今日から5、6、7開催だって」

「あぁ・・朝顔市ねぇ。母さん、毎年行きたいと思ってるけど、毎年仕事で行けないまま10年経ってしまったな。」

「ふ~ん、そっか・・よし、じゃあ今日行こうよ!」

「え?!マジ?お前大丈夫なの?」

「大丈夫。行こう!」

その時点でまだ頭は重く、アルコールは抜けきってはいませんでしたが、東京の夏をもっと知りたい私の気持ちは本物でした。

ということで、朝顔の色にあわせ、水色や薄紫でコーディネートした私達は気合の7時台出発!

生憎、ラッシュアワーとぶつかってしまいましたが、頭痛もふっとばして、とにかく目的地まで行きました。降り立ったのは日比谷線、入谷駅。そばにはまだ支度中の屋台が並び、横断歩道をこえた向こう側の通りに簾天井が連なっているのが見えました。

ff9dec3e.jpeg朝も早いというのに、通りは沢山のお客さんたちで賑わい、見学にきた小学生たちまでいました。

「お姉さん、どう?お好きな色あったら選びますよ!」

「アレ、お二人そっくりだね!きょうだい?いや~よく似てる。」

「どうぞ~いらっしゃ~い!今着てる服とおんなじ色のありますよ!」



518.JPG517.JPG5192.jpgと、通る店一軒一軒から威勢のいい声が飛び交い、これぞ東京の夏と感じさせるいい雰囲気でした。

なかには白い縁取りや、青と白のまだら模様になった「しぼり」と呼ばれる種類のものもありました。

また、青系の花が一般的かと思いきや「団十郎」という、渋い灰紅をした絞りの花びらもあり、まさに江戸てぬぐいさながらの見事な色合いでした。


私達二人はあっちの店をいったり、こっちの店をきたりしながら、最も好みに合う色をじっくり吟味していました。

本当は水色の絞りが一番気に入っていたのですが、なかなか全体のバランスや花の状態が微妙に求めている感じと違ったりしていて、結局鮮やかな水色を選ぶことにしました。

鉢植えだけでなく、壁からかけられるのも売られていて贈り物に重宝しそうでした。

たくさんの配送業者さんたちが店の前で待機したり、両手で二鉢もって次々往来していく姿も見えました。

別の通りでは、運搬用のカートに乗せられて入荷してきた鉢を受け取って、元あった鉢を動かしながら一つ一つ新しい鉢を置いていく様子に、忙しかった本屋の朝を思い出しました。
平台に本を置くときは、こんな感じだったよと母に話すと、おもしろそうに聞いていました。

すごいコンディションだった上に、混雑した中を行ったり来たりしていたので、おなかも空いたし体も疲れていましたが、いい鉢がみつかって大満足でした。自分の勉強のため、体ともうまく折り合いをつけて決行し、母の長年の望みも叶えることができた自分の根は少し太くなった気がしました。


eb119e0e.jpeg
【入谷朝顔まつり】公式サイト
http://www.kimcom.jp/asagao/rekisi.php

このお祭りのスポンサーは「金鳥の夏、日本の夏」でおなじみのKINCHOです☆
朝顔や入谷鬼子母神についてのおもしろい歴史は、読んで得した気分になりました☆

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Me
HN:
沙り
年齢:
42
HP:
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
セレクトショップスタッフ
趣味:
ジョギング・写真      伝統芸能・祭・旅
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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