[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
9月になりましたね。
みなさんどのようなお気持ちで新しい季節を迎えられたでしょうか・・
私はプライベートではある一つの区切りがありました。
自分の甘えや苦しみの原因になっていたものを断ち切って、
新しいスタートラインに立ったぞという気持ちです。
今まで仕事で体力を奪われて、あまり趣味に打ち込めていなかったのですが、
これからは両方ちょうどいいバランスで取り組んでいけたらと思っています。
趣味というか、勉強というか・・私のライフワーク『国際交流』です。
この間、イベントに参加したとき、日本人なのに自分はお茶の作法をまったく知らないということに気づきました。
お友達になった内モンゴルの女の子がそんな私のを、みようみまねでやっているのを見て焦りました。
「こりゃいかん・・!」と思いました。
礼儀作法や、所作の美しさを身につけるのにも役に立つし、
今仕事でOn Japanや、日本美術の棚をさわっている時も、岡倉天心の本が気になるのです。
あ、そうそう去年の3月にアメリカから4人のFriendsが遊びにきてくれた時も、
「京都館」でお茶体験をしようって提案をしたら、みんなはそれが、
どんなものかも知らなくてきょとんとしていたのですが、実際に先生に教わってみたら、
”Sari, it was fun☆★Thank you☆"と、みんな喜んでくれました。
温かくも厳しい先生に習い、うれし恥ずかしそうにしながら、一生懸命真似をしている姿がなんともいえない・・
私は外国の人がそういう風に日本文化に触れて、いろんな表情をするところをみると
なんだかとても胸がいっぱいになるのです。
18歳で社会に出てから、いろんな苦しい道を通って、
20歳でいっとき自分を見失って社会と離れて、自分の根を深く見つめて伸ばす時間をもうけていました。
自分の生まれ持った感覚が、この世の中で生きることの障害になっているような気がして、
そのことを責め続けて、死にたくなるぐらい苦しかった時間、
両親の愛と、昔の恋人だったある男の人の優しさに救われながら、21歳で今の仕事に導かれました。
そして少しずつ少しずつ何が自分の幸せかを思い出しながら3年ほど支店で修行をしていました。
今はその場所は跡形もなくなってしまったけれど、大切なことは全部私の体の中に記憶されています。
本店の洋書売場にお声をかけていただいて、私の喜びのキーワードがいっぱいつまった空間にくることができました。
「外国人」
「言葉」
「知識」
「文化」
そこに触れることのできる毎日のなかで、さまざまな人に出会い、吸収し、
次のドアを開ける時が近づいてきました。
ちょうど夜が明けそうだったので、隅田川まで朝焼けを見に行ってきました。
この間、早朝に目が覚めた時は物事が思うように進まなくて悩んでいたときでした。
その時、すれ違った犬はリードでつながれていました。飼い主が無理やり引っ張って前へ連れて行こうとしましたが、
その犬は踏ん張って、懸命に鼻をくんくんさせていました。きっと彼にしかわからない何かを、その道の上で感じ取っていたのだろう・・と思いました。
今日はリードのついていない犬が楽しそうにトコトコトコ・・・ トコトコトコトコ・・・っと私の前後左右を好きなように行ったり来たり。
あぁ、この子は今自由なんだと思いました。
少しずつ空の色が変わってきて、あぁきれいだなぁと思ってそちらの方向へ歩いていると、向こうからおじさんが走ってきました。
ハッハッという力強い息遣いがとても心地よかったです。
それからしばらくしてUターンすると、さっきのおじさんがすごく一生懸命、キックしたり普通のランナーとは違う動きをしながらまた走っていきました。
40代半ばぐらいに見えました。日々こうして自分を鍛えているのは素敵だし、私もがんばろうと思いました。
サッカーチームの監督でもやってらっしゃる方なのでしょうか。
特殊な足の動きでした。
03 | 2024/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声
我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています
交換留学先の
オーストラリア
高校演劇の稽古場と
体育館の舞台
留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア
母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校
身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル
20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場
大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス
そして
旅人達のターミナル・・
気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました
日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です