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今朝はまず箱根駅伝の大学生たちの勇姿を見守りました。

これまではあまりちゃんと見たことがなかったのですが、

いとこが熱心なランナーで毎年いろんなレースに挑戦していたり、

私自身もスローペースながら10km完走目指して、

時々走ったりするので、今年はちゃんとみてみようと思いました。

昨年、ミネラルの欠乏からか、フラフラになってしまった灘波選手は

自分の区間を走りきって倒れこんだあとも、目をつむり苦痛に顔を歪めながら

「たすきがない・・たすきがない・・」

と、息もたえだえに、そうつぶやいていたそうで、

(先輩のレースは、こんなに苦しんで走りぬいたあともまだ続いているんだ・・)

と悟った今井選手が「先輩、受け取りました!」と声をかけ、あとにつづいたそうです。

 

 

坂道を走るのが得意で「山の神」と呼ばれるその今井選手は、

切れることないスタミナで一昨年はなんと11人抜きという偉業を成し遂げた、

凄い走りの持ち主。

今年もどんなにきつい登り坂でもペースが落ちることなく、

1人抜き、2人抜き、3人抜き、4人抜き・・と

驚異的なスピードで風のように走っていきました。

ゴールの瞬間も笑顔で、最後までずっと精悍だったその姿は、

画面を通じてみている私達をも、さわやかでエネルギッシュな気持ちにさせてくれました。

強靭な体力と精神力をあわせもつ彼の凄さを知り、

私も今年は忙しさに自分を見失うことなく、良いペースで最後まで走ってゆきたいと

心の底から思いました。今井選手が往路優勝を決める瞬間まで見届けたところで、

午後からは母の提案で浅草にでかけることになりました。

 

大江戸線から新御徒町でつくばエクスプレスに乗り換えてわずか6分で到着。

改札を出ると、お江戸浅草の粋な神輿や、昭和のダンスホールで

あでやかな衣装を身に纏いラインダンスをするショーガールたちの笑顔など、

壁一面に活気溢れる絵が力強く描かれていました。

アメリカの友人も春にこちらに遊びに来る予定なので、

きっとさぞかし喜ぶだろうなぁと思いました。

 

「あ~おなかすいたな~」とつぶやいて、出口に向かって歩き出すと

大きなひつまぶしの写真と太文字で『うな鐵』とかかれた広告が目に飛び込んできたので

ここにしよう!と二人で即、顔を見合わせ決めました。

出るとすぐ先が浅草演芸ホールでした。

通るたびに一度は入ってみたいと思っていたので、まさかお正月にその思いが

叶えられるなんてと、とてもわくわくした気持ちで中に入りました。

 

16時から、大御所も含めた総勢12組の舞台。それで3,000円は格安☆

胸をおどらせながら中に入ると、席はすでにいっぱいで、

それでもあとからあとから、お客さんは入ってくるのでした。

一席おわったあと、どこか二人で座れそうな場所はないかとのぞいてみましたが、

どこもいっぱいで、諦めて再び後ろに戻ろうとすると、

そんな私たちに気づいたおじさんが自分の荷物をどけて

「空いたよ!」と、わざわざこちらを振りかえり手招きしてくれました。

さすが浅草!人情の町。

まわりの席の人たちにもよくお礼をいって座らせてもらうと、

派手な黄色の衣装をきた女性たちの二人漫才が始まりました。

ぽんぽんぽんと、おもちゃ箱のようにボケが飛び出してくるそのコンビに

観客はみな「アーーハッハー!」と、本当におかしそうに笑っていました。

世代も性別も、どこから来たのかもまったくちがう人たちが

一同に介し、こうして一つの舞台にくぎづけになってあげる笑い声は

テレビで聞こえてくるのとはちがって、

その場にいることをこんなにも幸せに感じさせてくれるものなんだ、と

その時初めて気がつきました。

 

それから、笑点でもおなじみ林家たい平が登場すると

「よっ!待ってましたぁ!」と、威勢のいい掛け声が飛び、

あっという間にお客全員を巻き込んで、テンポよく話を展開させていきました。

さすがだなぁと思って聴いていると、隣にいる母も本当におもしろそうに笑っていました。

母がこんな風に笑う声を久々にきいた気がしました。

 

それから大御所、三遊亭金馬さんの「なおらないくせをもつ4人」のかわいらしい小噺をきき、

つづいて林家正楽さんの紙切りが始まりました。

自分の通っていた中学校にもお越しくださったことがある

この正楽さんとの久々の対面に、とても心がはずみました。

あの頃とおんなじようにおどけて体を揺らしながら器用に手先を動かしてゆき、

あっという間に、振り袖をきた娘が羽子板をもって

今まさに飛んできた羽根をつこうとしている姿を完成させました。

その芸術性の高さに、一同「おぉぉ・・」と、まなざしがかわり、

そんなお客さんたちの注文を受けて「猪」に「凧あげ」と、

お正月らしい風景を次々に切り出しました。

その趣あるシルエットと、創作過程をずっと眺めていたかったけれど、

すぐに夢のような時間は過ぎていきました。

 

終盤には日本に2人しかいないという珍しい三味線落語の芸をもつ三遊亭小円歌という

女性の落語家が登場しました。すらりとして、とても美しいのに

「なぁに?もっと美人がいい?これでも貴方ついているのよ。

本物の芸者呼んだら何千円じゃすまないんだから!」

と、粋なコメント。そんな彼女は浅草生まれの浅草育ち。

すると、ちょうど曲の合間に「ハックション!」とくしゃみをしたおじさんが一人。

小円歌さん、さすがに放っておけなかったらしく、

「ちょっとぉ、なんてタイミングのいいくしゃみしてくれるのよ~!

おいしいとこぜ~んぶもってっちゃって…ある意味うらやましいわ!」

と、またまた気のきいた切り返し。

さすがだなと感心していると、今度は舞を披露してくれて、

日本のお正月をすっかり満喫したのでした。

 

その師匠の圓歌が鳳を飾り、鳴り止まない拍手のなか、

幕が閉まりきるまでずっと頭を下げていました。

こうしてあっという間に二時間が過ぎ、席を立ち上がると母が

「よかったね!」と第一声。

会場の東洋館をでると、色とりどりの旗が並ぶホール前で

「今日は絶対にさりを浅草の寄席に連れてってやろうと思ったんだ」

と、いってくれました。

 

こうして陽気な気分で、さきほど駅でみつけた「うな鐵」へ一直線。

やはり評判の店なのか、お正月だというのに外で待つお客さんもちらほら…

竹の椅子に腰かけている母に「誰が一番よかった?」と訊くと、

「たい平」と答えました。

彼の落語はとにかくテンポがよく、トントントーンとリズミカルに話が進むのが特徴で

笑点ではちょっとやんちゃもするけれど、決めるところは決めるんです。

今日も完全にお客と一体になった見事な一席を披露してくれて、

私も今日の中では彼が一番よかったなぁと思っていたので、

やっぱり母子なんだなぁと思いました。

 

そんな話をしているとのれんの向こうから、

「お二人様、ご合い席になりますがよろしいですか?」

店員さんが顔をのぞかせたので、うなずいて中に入りました。

そしてすぐに「お正月 ます酒一杯二〇〇円」という貼り紙を発見☆

いさみ足で二階席へと向かい、さっそく注文しました。

 

新鮮な檜の香りがほのかに口に広がって、何ともいえない気持ちにさせてくれました。

さしだされた岩塩を升の縁にのせてなぞり、和製のソルティードッグを味わいました。

あんまりおいしくて、おなかもすいていたので、櫃まぶしが来るのが待ちきれなくて

追加で梅干しと銀杏も頼むことにしました。

出てきたのは好物、紀州の南紅梅。

酸味はほのかで、甘味のあるやわらかい果肉は一口で極上の幸せをもたらします。

そして、串で焼いた銀杏には、さきほどの荒塩をひとつまみ。

家では出せなかったぜいたくな香ばしさを楽しみました。

 

そうしてようやく、櫃まぶしの"二人桶"が登場。

蓋をあけるとふわぁ~っと湯気が立ち上り、

香ばしい甘醤油の香りが一気におなかまで届いてきました。

一杯目はそのまま盛り、

二杯目は自分でおろした生わさびと刻み葱をそえて、

そして最後は、だしをかけていただく・・

杯を変えるごとに、新しい味に魅了され、

山椒の芳醇な香りに思わず唸りながら、丁寧にていねいに味わいました。

 

食べ終わるのがもったいなくて、一口一口を大事にいただいていると、

同じテーブルで向かいがわに座っていた夫婦の旦那さんの方が、

「お先」と声をかけていってくれました。

そういった心づかいが母はうれしいと言っていました。

浅草で愉しむ本当のお正月らしさを、五感をつかって体いっぱいに味わえた一日でした。

帰りは陽気に歌をうたいながら、母と肩を並べて家路につきました。

 

 

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matuma.jpg


 


 


 


 


 


子供の頃、お正月の朝起きてふすまを開けると、父と母が朝早くからおせち料理のしたくで台所に立っている背中が見えました。



まだ小学生だった私は1Fのポストから年賀状をもってきたり、ぎんなんを炒ったり、おもちを焼いたりする係でした。


お酒とうまいものが大好きな父が、お正月料理のなかでもっとも力をいれていた献立のひとつに「松前漬」というのがあります。地方によっては「まつま」と呼んだりもします。北の方にご親戚のいらっしゃるかたはご存知かもしれません。


材料は細切りにした昆布と、干しいかと、切干大根です。


乾燥しているものが市販されているので、最初にそれを水で戻し、昆布のねばりが出てきたら切干大根をまぜ、味付けは酒としょうゆでおこないます。シンプルなだけに、ちょっとしたさじ加減で味が変わるのがこの料理の特徴で、父の味を引きつぐため、今年は私が挑戦することにしました。


「ちょっとお醤油の味がきついかな?」と思ったらお酒をたし、


「あれ?今度は酒が多いな…」と思ったら、また醤油をたす・・といったあんばいです。


しかも時間が経つと、さっき感じた味とちがっていたりして、なかなか簡単には味が決まらないのです。


そこで母の助言により、冷蔵庫でいったんなじませたあと、最後にほんの少しのめんつゆで味を調えることにしました。


家庭によってはみりんを使うようですが、我が家はみりんの甘味をあまり好まないので、こういった方法をとっています。


そうそう、忘れてはいけない数の子も小さく切って混ぜます。


コリコリした食感が昆布のねばりとあいまって絶妙な味をうみだします。


私は毎年、父がつくるこの松前漬が大の好物でした。


父は「どうだ、うまいか?いい出来だろう。」といって、上機嫌でおとそを口にするのでした。


 


私は専門学校を出てから今の職場に出会うまでの間に、一度だけ社会の中での自分の在り方を見失った時期がありました。苦手なジャンルの部署に配属され、数字に追われながら四苦八苦し、結果を思うように出せない自分を限界まで追い詰めてしまったのです。

鬱屈した日々の中で段々と自分らしさを失い、両親にはものすごく心配をかけました。


その頃は、父とは別々に暮らしていて、たまにしか会うことがありませんでしたが、ある冬の寒い日、私がなかなか次の仕事を選ぶ決心がつかず、落ち込んでどうしようもなかった時、母と私を有楽町のガード下に連れて行ってくれました。


 


「どうだ。うまいだろ?お前は父さんの子だからこの味がわかるよな。


いいか、沙里。うまい酒の味がわかることも一つの能力なんだぞ。


お前は父さんとそっくりだから、今お前が抱えてる苦しみも父さんならよくわかる。


でもな、働いたあとに呑むのが本当は一番うまいんだ。


自分が何もできないと思うなら、とにかく汗を流せ。


他にいいことが見つからなくても、この一杯のために働いたっていいじゃないか。」


 


それは私にとって生涯忘れられない言葉になりました。


それから一度、英会話学校の仕事を通していろんなことを学び


しばらくして、ある本屋の支店オープニングスタッフの募集記事を見つけました。


「もうここしかないと思うよ。人間関係もゼロからのスタートだし、お前は本が好きなんでしょ?」


という母の一言におされ、それまで奥に閉じこもっていた生きる希望がうわっとあふれだし


履歴書の小さな志望動機の欄にはおさまりきれなくなって、


レポート用紙にめいっぱい自分の思いの丈を綴りました。


店長は思わぬ猛烈アピールに驚き、喜んで、すぐにお返事をくださいました。


 


こうして21歳の夏に新たなスタートを切りだし、


まだ何もないまっさらな棚にダンボール50箱分の本を1冊1冊、


自分たちの手でさしていきました。


研修の時、初めて気づいたのですが、そのお店の包装紙は


父が会社から帰ると、いつも手に持っていたブックカバーとおんなじ柄だったのです。



見た瞬間「あっ!」と、とても懐かしくなりました。


少しずつ仕事も軌道にのり始め、ようやく本当にお酒の味がわかるようになって間もなく

 

父が突然この世を去ったと、一本の電話で知らされました。



22歳の12月の夜、いつものように店を閉め、皆で帰ろうとしていた矢先の事でした。

  

  


小さい頃から私と一緒にお酒を呑むことを心待ちにしていた父と


ほんの少ししかその時間を共有することができず、本当に無念でした。


もっと教わりたかったことがたくさんありました。


おいしい肴の作り方…父から教わったのはたった一つ。それもごく簡単なものだけです。


だからこそ、今日の松前は何としてもおいしく作りたかった…


小さな父の遺影を食卓におき、記憶と勘をたよりに酒と醤油の瓶をかたむけました。


あの時、父はうしろで力を貸してくれたのでしょうか…


思った通りの味がだせました!母も喜んで褒めてくれました。


食卓には母特製のお雑煮の香りがたちこめて


私が赤ちゃんの頃、母の背中におぶさって「う、う!」と


指さしえらんだ、朱色のおとそが三つ並べられ、


今年も我が家のささやかなお正月を迎えることができました。





































みなさま、あけましておめでとうございます。

2006年は大変お世話になりました。

こちらへの異動のお話をいただいた時は、

こんな自分に務まるのかとても不安でしたが、

温かみあふれるみなさまから、たくさんの知恵や力をいただきながら

多くのことを吸収でき、24年生きてきた中で最も素晴らしい年になりました。

本当にありがとうございました。

私はみなさまとお仕事ができ、とても幸せに思っています。

今年も何かと足をひっぱってしまうかもしれませんが、

日々の出来事を振り返りながら、笑顔をたやさず

心をつくしてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

sunrise.jpg

 

今朝、玄関先で空にカメラを向けたら

偶然こんな写真が撮れました。

どうぞみなさまにとっても幸せな年でありますように・・・

 

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HN:
沙月
年齢:
43
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
お休み中・・・
趣味:
写真・語学・ダイエット・料理
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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