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 今日は仕事のあと、母と夜桜をみにでかけました。

私の住む近くの公園はちょうど隅田川沿いにあり、毎年春になるととても美しい幻想的な場所になるのです。

特に坂をのぼる途中に見えてくる桜のアーチがとても気に入っていて、

一度は大切な人を連れてきたい居場所でもあります。

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毎年、我が家はお弁当をもって桜をみにいくのが春の楽しみになっています。

時間があるときは作るのですが、今週はお互いに忙しいので近くでお惣菜をいくつか選んで、

それから偶然みつけた「わらび餅」も手にとって、風流に和の心を味わうことにしました。

去年の春は手にした日本酒に、はらはらと桜の花びらが舞い落ちてきて、

とても美しかったです。私が生まれた頃にはもう天国にいってしまった

祖父もそれを「桜酒」と呼んで、楽しんでいたそうです。

ピクニックが大好きだった父もきっと喜んでいるだろうと思いました。

母は毎年必ず卵焼きをつくってくれていたので、

今年もないと落ち着かなかったようで、「どうしても…」といって買ってきました。

でも卵焼きだけはやっぱり、よその人が作ったのよりも、母が作ったものを食べたいと思ってしまいます。

甘すぎず辛すぎず、本当にちょうどいい味なのです。

砂糖やみりんのかわりに日本酒を使うのが我が家流です。

いつかこの味も受け継がなければならないと思いました。


日本人はやっぱり桜が好きだと思いますが、なかでも私にとって桜は特別な花です。

専門学校にいたとき中国語を専攻していた私は

2年になったとき入学式で科の代表としてスピーチをやることになったのでした。

その学校は我が家にとってはとても学費が高く、入るのだけでも本当はやっとでした。

でも、高校も私立だったのでずっと働きづめの親に、これ以上負担はかけたくないと、

自らも放課後、電車に飛び乗って駅から駅までの数分間に仮眠をとりながら、

身を削る思いで通ったのでした。勤めた先はお台場のフジテレビのすぐ横にあるホテルで

ルームサービスのオーダーを電話で受け、ウェイターとキッチンにその指示を出すという

仕事でした。聞き慣れないアラブ系の外国人客の話す特徴的な英語でだされる注文も、

的確に聞き分けて判断したり、クウェートの副大統領が

宗教上食べられないものを抜くようにキッチンに話を通したり、

18歳にして初めて大きな会社で責任のある仕事についたので、

とても緊張していて、

失敗の連続で精神的にも体力的にもきつい毎日でした。

帰宅すると夜中の12時近くなって、それからご飯を食べて3時頃寝て、

早朝にはおなじ学校のビジネスマン向けの教室の受付窓口のバイトをやったりして

一週間七日、ほぼ休みなく働き続けた学生生活でした。

8222dc4f.jpg高い目的意識と、情熱があったからこそ成し得たことで、

そこでの挫折と苦悩と挑戦が

その後の自分の内面を大きく変えてくれました。

仕事や語学力以上に、人の痛みがわかるようになったことが

最大の収穫だったように思います。



不慣れながらも一生懸命、夏休みもあまり遊ばずひたすら汗を流して

ようやく一年が過ぎ、訪れた春の休日にその公園を歩きながら

ふっと見上げたとき、桜が笑ってくれているようにみえたのです。

私はその桜をみてとても幸せな気持ちになりました。

その桜はまるで

「一年間よくがんばったね。これからもその気持ちを忘れず、

一つ一つの出会いに感謝して、より一層多くのことに挑戦していくんだよ」

と、私に語りかけてくれているようでした。

これから希望をもってそれぞれの学びをスタートする新入生たちにも

そんな出来事をありのまま伝えたかったのです。


そして今年。

その当時からずっと6年ほど文通していたアメリカ人大学生が、

ついに憧れの日本へやってきました。

私は一週間、ほとんど毎日彼とその友達と時間を共にし、

初めてみるたくさんの「日本」に感動したり、

笑ったり、驚いたりする彼らの表情や声を間近にし、

学生時代一緒に過ごした留学生の

たくさんの「?」が「!」に変わる瞬間の笑顔にふれることができた喜びをきっかけに

日本語教師を目指し始めた当時のことを思い出しました。

今回初めての本格的な英語での東京案内で、

自分にはまだまだ知りたいことがとてもたくさんあると感じましたし、

英語の上達に向けて今まで以上に真剣に取り組もうと心に決めました。

その彼についてはのちほどくわしく書くつもりですが、

私の人生にとって欠かせない存在であると気づきました。

一緒に来たシアトルの友達もみんな桜をみたがっていました。

ほんのタッチの差でその思いは叶えられませんでしたが、いつかまた必ず

今度はもっといろんな引き出しをもった自分になって

また彼らに桜をみせてあげることができたらいいなという願いが

桜の開花とともに決意に変わりました。

25歳の春みたこの桜が、これまでの中で最も意味深く

なんともいえない感謝の気持ちが心の底からわいてくるものでした。

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本日2007年1月31日をもって、私がお世話になった支店が、
その短い歴史に幕を閉じました。

今日は本店の業務が早番で終わりだったので、すぐに着替えて、
制服をもって支店へいき、そしてまた制服に着替えて最後のカウンター業務を、オープニングの仲間たちと一緒にやりました。

お得意さんだった人たちも、みな口々に「残念だね、寂しくなるね・・」とお声をかけていってくださいました。

以前、私が本館のビルのエスカレーターで
「あの雑誌の付録のワインがまだ残ってますよ」とご案内したのがきっかけで、よくおつきあいさせていただいた女性の方にも久々にお目にかかり、最後にごあいさつすることができて、とてもうれしかったです。

そして、お客様のいなくなった3Fから順番に電気が消え、
最後に帰られたお客様は笑顔の素敵な背の高いご年配の男性でした。

その人が店を出る間際にもう一度、その背中に向かって
「ありがとうございましたー!」と、みんなで頭を下げました。

こうして、とうとうこのお店の扉が閉まりました。

あまりにも早く、あっけない最後でした。

オープン当時の店長であり、今の本店1Fのフロア長であるKさんも
仕事を大急ぎでこなし、スーツ姿でかけつけ、最後までずっとにこやかにこの店と、みんなのことを見守ってくださいました。

最後の晩餐は、ビルの1F~3Fまでを貸してくださったある通信社の
ご厚意で、併設されているレストランから豪華オードブルを手配していただき、店の1Fにテーブルを並べてうちのスタッフと取次店と、その通信社の方々を合わせて16名で行いました。

その会社は偶然、私の地元の町に新しい施設をつくっているようで、
視察の帰りに寄った名物店の焼豚も差し入れに、もってきてくださいました。

それからおいしいスパークリングワインや麦焼酎などをいただき、
ひとしきり盛り上がったあと、通信社の代表の方がこの店のスタートからのことを話し始め、

皆一斉に視線を注ぎ、耳を傾け始めました。

どのようなコンセプトのもとに、どのような人たちの思いでこの店が開いたのか、そしてこれまで、その通信社の方が、河上さんやうちの上層部とどのようにして、この店を盛り上げようとしてくれたか、私たちが今まで知らなかった様々なエピソードを聞かせてくださり、最後に

「この店は今日でなくなってしまいますが、みなさんはこの店が、
そんな夢のもとに開かれた店であったということを、
どうか忘れないでください」

と、温かい口調で語りかけてくださいました。


次に、この店を立ち上げ、本の事を何も知らない私達を0から育てあげてくださったKさんが、


「まず感じることは、非常に寂しい・・ただただ寂しいという思いです。

せめてあともう一年がんばれれば・・と、本当に今でも思っています。

けれどここでみなさんと手探りでやりとりしてきたことは、

僕は一生忘れませんし、これまで培ってきたことは

これから本店で生かせるよう努力してまいります。

みなさん3年半、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。」


という言葉で締めくくりました。


そのお二方の言葉にぐっときました。

でも、ここで泣いてしまうのはなんだか違うなという気がして、
拍手をしながらずっとこらえていました。


そんなことを、帰宅した今こうして思い返していたら携帯がなり、
スピッツの「Y」という曲が流れてきました。


”悲しいこともある だけど夢はつづく 

目を伏せないで 舞い降りる夜明けまで・・”


これから会社はどんな風になっていくのかわかりませんが、
私は私に与えられた使命を精一杯こなしながら、
これからも諦めずに心を込めていい店を作っていこうと思いました。

奇しくも「Y」はこの店の頭文字でもあります。

小さくて、めだたない場所にあったけれど、たくさんの人に愛されて、
そして私の21歳から24歳までの大切な人生の時間がつまったお店でした。

今まで足を運んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。

これまで私達の知らないところで、この店の屋台骨を支えてくださった方々、本当にお世話になりました。

私はこの店に出会えて本当に幸せでした。


今日はあの巨匠、シドニー・シェルダンがこの世を去りました。

今日帰る前に土台をつくってきましたが、あしたは朝一で出社して、
またお客さんが思わず足を止めてみたくなるような棚をつくってきます。


では、みなさん、おやすみなさい。

 

今日は明日で閉店を迎える支店のみんなへの差し入れを買うため、銀座へいきました。

デパートの地下には色とりどりのお菓子が並んでいて、その店舗の一つは
ホテルアルバイト時代に一緒に働いていた女の子が一度勤めたことのあるメーカーでした。

そこのお菓子もおいしいのですが、彩りがややさみしかったので、
向かい側にあった焼き菓子の店で詰め合わせを買って包装してもらいました。私を受けてくれたのは若い女の店員さんでしたが、横にいた先輩の男性店員さんのラッピング手さばきの素早いこと!さすがベテランだなと思いました。私もクリスマスは年々あんな風に手早くできるようになっていきたいなと思いました。

迷いに迷いましたが、ようやく決まってほっとして母がよそから来るのを待ちながらぶらぶらとフロアの中を歩いていると、
ある場所で目がぱちくりとなって、思わず足がとまりました。
生ハムの切り売りです。とはいえこれ、ただの生ハムではないんです!!

以前、アド街で森久美子が宣伝していた高級イベリコ豚の中でも更に
最上級といわれる「イベリコ ベジョータ」と目が合ってしまったのです!!!!

のびのびとしたストレスの少ない環境で育ち、どんぐりを食べて育った
その豚はスペインでも2%しかとれない貴重な豚なのだそうです。

年末にテレビでそのことを知って、いつか食べたい・・と思っていたら、
こんなにも早くお目にかかることができたので、興奮をおさえきれず、
目を輝かせながら、じーーーっとガラス越しに立って眺めていました。

店員のお兄さんは、今まさに目の前でその豚肉を切り分けていました。
その作業をしながらも、ガラス越しに私が立っていることをことを気にかけてくれて、一段落すると手をとめて、「いらっしゃいませ」と声をかけてくれました。色が白くて、とても優しいお顔立ちのそのお兄さんは、
私が興奮さめやらぬ調子でベジョータのことを知ったいきさつを伝えると
「そうなんですよ~、そうなんですよ~」と、照れくさそうに笑いながら、一生けんめいその豚のことを説明してくれました。

ここで会ったも、何かの縁!とばかりに、私は一つ試食をしてから、
100g およそ¥3,900のベジョータを試しに、30gほど量り売りをしていただくことにしました。ほんとは50gほしかったんだけど、小心者なので30gにしてしまいました。

キャー!ドキドキ。あのベジョータが、あのベジョータが、
ついに我が家にくる~~~!!!!

何も知らない母は途中からやってきて、あまりの値段に表情がカタくなっていましたが、「ここが私が。」とすかさず母の手を止めて、お財布を
開きました。もうまもなく誕生月に入るので、ちょっと大胆になっていました。・・というか、おいしいものには本当に目がないんです☆

せっかく素敵な店員さんにもお目にかかれたのに、ここで素通りするわけにはいかないじゃぁないですかっ!

ということで、優しい店員さんはうすくきれいに並べて、紙に包み
「これで31gです。」と言い、それから手さげにいれてもたせてくれました。変なお客がきたというのに、いたってやわらかい物腰のそのお兄さんには本当に出会えてよかったと思いました。


それから隣にあったオリーブオイル「レモン」の味も確かめつつ、いざ新橋へ。めざすはキムラヤ。ついにデジカメをGETです。

買ったのはCanonの900IS。ある先輩がCanonで働いていることもあり、なんとなく”Canonびいき”になっていて、色々と見比べた結果、この最新の機種が総合的な機能のバランスに一番優れていたのでこれにしました。

望遠、広角、操作性、デザインすべてにおいてしっくりときたので、
これでついに買うことができました。これで明日の最後の晩餐もバッチリ☆

うきうき気分で母と支店の方に向かい、最終日前日を迎えたスタッフたちにお菓子を渡してきました。2Fでは文具が半額セールを行っていたので、動物のフォトグラフィーが表紙になったノートを2冊と、仕事で使うグリーンのクリアファイルを2枚。それからきれいな緑色の万年筆を1本買いました。

3年間お世話になりっぱなしだった男性の先輩がきれいにラッピングしてくれました。

最後だからといっぱい、メモ帳やらなんやら、「いったいそんなにどうするの?!」というぐらいたくさんのステーショナリーをかごに入れてもってきた母にも丁寧に応対してくれました。
でも、途中で打ち間違えて「すいません、もっかい最初から打ち直してもいいですか?」と、言っていたのが、先輩らしくて笑いを誘いました。


さてさて、そんなこんなでこの場所での最後のお買い物を済ませ、
近くのコンビニでこの店にしかないおいしいチーズも買って、
帰宅の途につきました。手には新しいデジカメとイベリコベジョータ!

包みをあけると木の実の芳醇な薫りが広がり、さすがどんぐりを食べて
育っただけのことはあるなと感心しました。

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グラスにはボジョレーを注ぎ、いざ一キレ口に運ぶと・・・・・・・


たとえようのない香ばしさが口の中でふわぁっと開いて、夢心地。

噛むごとにそれは深く、複雑な風味をおりなし、こんなに幸せでいいんだろうかと、思わず疑いたくなってしまうほど贅沢な味わいに、なにも云えないまま何度もゆっくり目をまんまるくしながら、ただただ母の顔を見つづけることしかできませんでした。


「そんなにおいしいかい。ふふっ。よかったね」

と、母も笑い返してくれました。

「母さんはあと1つでいいよ」と、私に残りをすべて与えてくれました。

それから、ふっと心の奥で

「沙里はよくこんなの知ってたなぁ・・」

父さんの声がしました。

きっと、今この場所にいたらそう言ったに違いないと思いました。

 

きょうはめずらしく母が休みで、お昼一緒に

NHKの「日本の話芸」をみました。鳥の声のような笛の音と

木久蔵が描いた絵で番組が始まり

柳屋小三治 うどんや

と白い墨文字で書かれ一気に期待が高まりました。


昔、江戸の町をゆくそば屋は

自分が呼びとめられる時の声は小さいほうが

儲かると思っていたそうです。

通りには夜になると中で博打をしている者がいて

自分たちの悪行がばれないようにこっそりと

声をかけ、仲間の分まで頼むからだそうです。

そして江戸の男たちには太くてもっちりしたうどんよりも

細くて手早く食べられるそばの方が粋で好まれていたそうです。


そんな前置きで始まった今日の小噺。

ある冬の寒い夜に通りでうどんやが桶とやかんをひっかけている姿を

みかけた酔っ払いの男が

「こいつぁいい、ちょっとあったまらしてくれ」と、

墨で暖をとるため、うどんやを呼び止めるのでした。


手をこすり合わせ、酔っ払って理屈ばかりいっては

うどんやにからむそのおやじの芝居が非常にうまく、

「あー、こういうおじさんいるなぁ、お客さんにも…」

と思いながら、ニヤニヤして聴いていました。

それからかわいがっていた近所の娘が嫁いだという話を

上機嫌で話していると

「おじさん。さて、このたびは・・・」

と、最後のあいさつをされたのを思い出し

しゅんとして急に静かになってしまう演技は

お酒好きで寂しがり屋の父を一瞬思い起こさせるほどリアルで

その間のとり方の妙に、心がきゅんとなりました。


結局その男は、ただあったまってからんで、うどんは嫌いだと食べて行かず、

おまけに捨てゼリフまで吐いて去っていったので、

「冗談じゃねぇや、あんなろくでもねぇ奴の相手してたら商売にならねぇや」

と、呆れながら歩いていると、今度は別の男が、

「うどんやさ~ん。 おぉい、うどんやー」

と、今にもかすれそうな声でよびかけてきました。

「お…!きたな。これだから商売は怠けじゃいけないな」

と、張り切って、その男に合わせるように小さな声で

「へい、何杯こしらえましょう!」

「一杯」

「…え?」

「一杯」

「一杯・・だけですか。…承知いたしやした」

と、がっかりしながらも、黙々と懸命にこしらえ始めました。

「へいお待ち」

と、差し出し、くわえた扇子をちょっと開くことで

箸を割るようにみせていました。

それからどんぶりを抱え込んで

「ふぅ…ふぅ… ずず~  あぁ・・」

と、芯からあったまっているようでした。

具の方に箸をつけてぱくっぱくっと素早く口に運ぶさまや

途中で「ずっ」と鼻をすすったり、

最後に切れ切れになった麺を集めて食べるさまなど

本当に芸がこまかくて、思わず画面の前で

「おいしそう・・・」

と、つぶやいてしまうほどでした。


「お代はいかほど?」というと、

客の男はたもとからあるものを取り出しました。

さしだされたそれをみて、「えぇ?」と顔をあげると

「うどんやさんも風邪ひいたんですか?」

といったところで、小噺がおわり小三治師匠が頭を下げました。

私はテレビのなかのお客さんと一緒に拍手をしました。

名人の江戸落語は素晴らしい!と、感激しました。

特に酔っ払いの演技は本当にもう一度みたくなるほど

心に残りました。

そのあとネットで小三治のプロフィールを拝見しました。

40代まではバイクが趣味だったそうで、

「ニューヨーク一人歩き」などのエッセイ風落語という

この小三治師匠ならではの芸もあるそうです。

趣味の欄には"ドキュメンタリーものの録画"とあり、なるほどな。と思いました。

それ以外では「ハチミツ、蜂、世界の塩、その他いろいろいろいろいろいろ」と書かれていました。

著書もいくつかでているようなので明日店で探してみようと

思います。自分の職場で欲しいものをすぐに見つけられるなんて素晴らしい☆

春にまた落語会を開くようなので、次はぜひ足を運ぼうと心に決めたのでした。















 

今朝はまず箱根駅伝の大学生たちの勇姿を見守りました。

これまではあまりちゃんと見たことがなかったのですが、

いとこが熱心なランナーで毎年いろんなレースに挑戦していたり、

私自身もスローペースながら10km完走目指して、

時々走ったりするので、今年はちゃんとみてみようと思いました。

昨年、ミネラルの欠乏からか、フラフラになってしまった灘波選手は

自分の区間を走りきって倒れこんだあとも、目をつむり苦痛に顔を歪めながら

「たすきがない・・たすきがない・・」

と、息もたえだえに、そうつぶやいていたそうで、

(先輩のレースは、こんなに苦しんで走りぬいたあともまだ続いているんだ・・)

と悟った今井選手が「先輩、受け取りました!」と声をかけ、あとにつづいたそうです。

 

 

坂道を走るのが得意で「山の神」と呼ばれるその今井選手は、

切れることないスタミナで一昨年はなんと11人抜きという偉業を成し遂げた、

凄い走りの持ち主。

今年もどんなにきつい登り坂でもペースが落ちることなく、

1人抜き、2人抜き、3人抜き、4人抜き・・と

驚異的なスピードで風のように走っていきました。

ゴールの瞬間も笑顔で、最後までずっと精悍だったその姿は、

画面を通じてみている私達をも、さわやかでエネルギッシュな気持ちにさせてくれました。

強靭な体力と精神力をあわせもつ彼の凄さを知り、

私も今年は忙しさに自分を見失うことなく、良いペースで最後まで走ってゆきたいと

心の底から思いました。今井選手が往路優勝を決める瞬間まで見届けたところで、

午後からは母の提案で浅草にでかけることになりました。

 

大江戸線から新御徒町でつくばエクスプレスに乗り換えてわずか6分で到着。

改札を出ると、お江戸浅草の粋な神輿や、昭和のダンスホールで

あでやかな衣装を身に纏いラインダンスをするショーガールたちの笑顔など、

壁一面に活気溢れる絵が力強く描かれていました。

アメリカの友人も春にこちらに遊びに来る予定なので、

きっとさぞかし喜ぶだろうなぁと思いました。

 

「あ~おなかすいたな~」とつぶやいて、出口に向かって歩き出すと

大きなひつまぶしの写真と太文字で『うな鐵』とかかれた広告が目に飛び込んできたので

ここにしよう!と二人で即、顔を見合わせ決めました。

出るとすぐ先が浅草演芸ホールでした。

通るたびに一度は入ってみたいと思っていたので、まさかお正月にその思いが

叶えられるなんてと、とてもわくわくした気持ちで中に入りました。

 

16時から、大御所も含めた総勢12組の舞台。それで3,000円は格安☆

胸をおどらせながら中に入ると、席はすでにいっぱいで、

それでもあとからあとから、お客さんは入ってくるのでした。

一席おわったあと、どこか二人で座れそうな場所はないかとのぞいてみましたが、

どこもいっぱいで、諦めて再び後ろに戻ろうとすると、

そんな私たちに気づいたおじさんが自分の荷物をどけて

「空いたよ!」と、わざわざこちらを振りかえり手招きしてくれました。

さすが浅草!人情の町。

まわりの席の人たちにもよくお礼をいって座らせてもらうと、

派手な黄色の衣装をきた女性たちの二人漫才が始まりました。

ぽんぽんぽんと、おもちゃ箱のようにボケが飛び出してくるそのコンビに

観客はみな「アーーハッハー!」と、本当におかしそうに笑っていました。

世代も性別も、どこから来たのかもまったくちがう人たちが

一同に介し、こうして一つの舞台にくぎづけになってあげる笑い声は

テレビで聞こえてくるのとはちがって、

その場にいることをこんなにも幸せに感じさせてくれるものなんだ、と

その時初めて気がつきました。

 

それから、笑点でもおなじみ林家たい平が登場すると

「よっ!待ってましたぁ!」と、威勢のいい掛け声が飛び、

あっという間にお客全員を巻き込んで、テンポよく話を展開させていきました。

さすがだなぁと思って聴いていると、隣にいる母も本当におもしろそうに笑っていました。

母がこんな風に笑う声を久々にきいた気がしました。

 

それから大御所、三遊亭金馬さんの「なおらないくせをもつ4人」のかわいらしい小噺をきき、

つづいて林家正楽さんの紙切りが始まりました。

自分の通っていた中学校にもお越しくださったことがある

この正楽さんとの久々の対面に、とても心がはずみました。

あの頃とおんなじようにおどけて体を揺らしながら器用に手先を動かしてゆき、

あっという間に、振り袖をきた娘が羽子板をもって

今まさに飛んできた羽根をつこうとしている姿を完成させました。

その芸術性の高さに、一同「おぉぉ・・」と、まなざしがかわり、

そんなお客さんたちの注文を受けて「猪」に「凧あげ」と、

お正月らしい風景を次々に切り出しました。

その趣あるシルエットと、創作過程をずっと眺めていたかったけれど、

すぐに夢のような時間は過ぎていきました。

 

終盤には日本に2人しかいないという珍しい三味線落語の芸をもつ三遊亭小円歌という

女性の落語家が登場しました。すらりとして、とても美しいのに

「なぁに?もっと美人がいい?これでも貴方ついているのよ。

本物の芸者呼んだら何千円じゃすまないんだから!」

と、粋なコメント。そんな彼女は浅草生まれの浅草育ち。

すると、ちょうど曲の合間に「ハックション!」とくしゃみをしたおじさんが一人。

小円歌さん、さすがに放っておけなかったらしく、

「ちょっとぉ、なんてタイミングのいいくしゃみしてくれるのよ~!

おいしいとこぜ~んぶもってっちゃって…ある意味うらやましいわ!」

と、またまた気のきいた切り返し。

さすがだなと感心していると、今度は舞を披露してくれて、

日本のお正月をすっかり満喫したのでした。

 

その師匠の圓歌が鳳を飾り、鳴り止まない拍手のなか、

幕が閉まりきるまでずっと頭を下げていました。

こうしてあっという間に二時間が過ぎ、席を立ち上がると母が

「よかったね!」と第一声。

会場の東洋館をでると、色とりどりの旗が並ぶホール前で

「今日は絶対にさりを浅草の寄席に連れてってやろうと思ったんだ」

と、いってくれました。

 

こうして陽気な気分で、さきほど駅でみつけた「うな鐵」へ一直線。

やはり評判の店なのか、お正月だというのに外で待つお客さんもちらほら…

竹の椅子に腰かけている母に「誰が一番よかった?」と訊くと、

「たい平」と答えました。

彼の落語はとにかくテンポがよく、トントントーンとリズミカルに話が進むのが特徴で

笑点ではちょっとやんちゃもするけれど、決めるところは決めるんです。

今日も完全にお客と一体になった見事な一席を披露してくれて、

私も今日の中では彼が一番よかったなぁと思っていたので、

やっぱり母子なんだなぁと思いました。

 

そんな話をしているとのれんの向こうから、

「お二人様、ご合い席になりますがよろしいですか?」

店員さんが顔をのぞかせたので、うなずいて中に入りました。

そしてすぐに「お正月 ます酒一杯二〇〇円」という貼り紙を発見☆

いさみ足で二階席へと向かい、さっそく注文しました。

 

新鮮な檜の香りがほのかに口に広がって、何ともいえない気持ちにさせてくれました。

さしだされた岩塩を升の縁にのせてなぞり、和製のソルティードッグを味わいました。

あんまりおいしくて、おなかもすいていたので、櫃まぶしが来るのが待ちきれなくて

追加で梅干しと銀杏も頼むことにしました。

出てきたのは好物、紀州の南紅梅。

酸味はほのかで、甘味のあるやわらかい果肉は一口で極上の幸せをもたらします。

そして、串で焼いた銀杏には、さきほどの荒塩をひとつまみ。

家では出せなかったぜいたくな香ばしさを楽しみました。

 

そうしてようやく、櫃まぶしの"二人桶"が登場。

蓋をあけるとふわぁ~っと湯気が立ち上り、

香ばしい甘醤油の香りが一気におなかまで届いてきました。

一杯目はそのまま盛り、

二杯目は自分でおろした生わさびと刻み葱をそえて、

そして最後は、だしをかけていただく・・

杯を変えるごとに、新しい味に魅了され、

山椒の芳醇な香りに思わず唸りながら、丁寧にていねいに味わいました。

 

食べ終わるのがもったいなくて、一口一口を大事にいただいていると、

同じテーブルで向かいがわに座っていた夫婦の旦那さんの方が、

「お先」と声をかけていってくれました。

そういった心づかいが母はうれしいと言っていました。

浅草で愉しむ本当のお正月らしさを、五感をつかって体いっぱいに味わえた一日でした。

帰りは陽気に歌をうたいながら、母と肩を並べて家路につきました。

 

 

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年齢:
42
HP:
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
セレクトショップスタッフ
趣味:
ジョギング・写真      伝統芸能・祭・旅
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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