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以前から日本文化を海外の人に紹介することに興味をもっていた私ですが、漠然とイメージしているだけで、これまであまり具体的にそのことについてじっくり取り組んだりすることがなく、忙しさに流されてしまっているようなところがあり、将来に向けてしっかりとした骨組みを作ろうとはしていませんでした。


しかし、職場にいる同い年の留学生は毎日自分の内面と葛藤しながら、必死の思いで自己実現をしようとしていて、彼女の闘志あふれる言動を目の当たりにするたびに、私も今のままではいけないなと思っていました。
そんな折、母がみつけた一枚のチラシにあった「日本文化体験」の言葉に誘われて、地元の社会教育会館で行われた国際交流パーティーに参加してきました。

自分の興味とこれからの方向性をどう決めていくか、
そのきっかけをつかめる出会いがあれば良いなと思い、手製の名刺をもって出かけました。

開始にはまだ早かったのですが、ロビーでたまたまふっと隣の席に腰をおろしたボランティアスタッフの方に声をかけると、すぐに中へ通してくださり、どんな風に運営されているのかお話をきかせていただくことができました。中では年配の女性が風呂敷の包み方教室の準備をしているところでした。

参加にあたっては、特別な資格は必要ないようでした。登録しているボランティアの人がスタッフとして参加しているのだと説明されました。大使館の多い、港区などへいくともっと大々的な催し物があったりするので、そういうところに顔を出してみるといいと教えてもらいました。そんなことを話していると、気さくで気の早い、いかにも下町らしいその年配女性がいきなり「この方、ボランティア登録なさりたいんですって!」と、すぐに偉い人を呼び止め(笑)、手続きのための案内書をいただくことができました。

日本語教室については規定の講座を修了していることが条件ですが、無論、その資格はきちんと取るつもりでいたので、まずこういう所から糸口をつかむのもひとつの手かな、と今後の参考になりました。

taihenyokudekimashita.jpgさて、時計はいよいよ開始時刻の12時をまわり「まず、やったことのないことから!」と、生け花教室に足を踏み入れました。

軸につかうのはユーカリの枝葉でした。こんなところにユーカリがでてくるなんて、なんだか意外だなぁと思いましたが、実際はコアラが食べるのよりももっと小さい種類のものでした。

それを中心にしながら黄色いガーベラと薄桃色のストックという花の生け方を教わりました。

長方形の剣山を四角く四等分し、その左上のマスのまんなかへんをイメージして、まず軸となるユーカリをさしました。

最初はまっすぐさし、それから左に傾ける。それが基本でした。

次にその対角線上にも同じようにさし、今度は右へ傾けて広がりをもたせ、今度は左下のマス(ちょうど二つの延長線が交差する辺り)にストックをさしました。

こうして三角形をつくりながら生けていくのよ、と先生が教えてくれました。

葉を横に広げながら、すっと上へまっすぐ向かっていく花に、これからの自分の思いを込めました。

生け花はもっと難しくて厳しいイメージがあったのですが、ルールがわかりやすくてコツはすぐにつかめました。ほんの数分で完成しましたが、それなりの手ごたえは感じられて、楽しくやることができました。
近くにいたおばあちゃんに写真を頼んだら、私の顔が葉に隠れてしまいましたが、もう1度!とはなんとなくいいづらかったので、まぁこれはこれでいいかと笑ってカメラをしまいました。

使った花は記念に持ち帰ることができました。先生にお礼をいい、その場所をあとにしました。


furoshiki.JPGそしてさきほど挨拶をさせていただいた風呂敷教室のほうへと足を運ぶと、ちょうどワインボトルの包み方をやっているところでした。そのきれいさとかっこよさに惹かれ、勢いよく教えを請いました。

まず中心にボトルを立て、上下をそれぞれ三角に折り、ボトルのあたまが見えるようにしたら、ひだを作って輪ゴムで仮留め。

次に左右をきゅっともちあげて一度交差させたら、寝かせてしっかりと縛ります。

最初にどっちを下にして・・というのが単純だけれど忘れやすくて、2回練習しました。


するとうしろからポニーテールをした中国の女性がやってきて、見本の包みに見入っているようだったので
一緒にどうぞ!と声をかけてみました。

furoshikikyoushitu.JPG彼女の目の前にあった風呂敷は、赤くて色あざやかなもので、幸福の色とされている中国の女性にとっては特に美しい色だと感じたのだと思います。訊けば、さきほどは着付け教室でも赤い着物を着せてもらったとか・・

さっき撮ってもらったばかりの晴れ姿の写真をこちらに見せながら
「お嫁さん・・」と、いってはにかむ純朴そうな彼女の笑顔は、
とてもかわいらしかったです。(^^)

比べてみると、私なんかよりよっぽど覚えも早く、しかも綺麗にできていました!
日本人として、私ももっと練習せねば・・と思っていると、
撮影隊がいっせいに私たちをモデルにして撮り始めました。

パシャパシャ!はい、いいですねー!と言われているうちに
段々楽しくなってきました!(笑)


彼女は撮ったばかりのデジカメの画面をながめながら「きれいですねー!」と、
とてもうれしそうにしていました。

このあとはどうするの?とたずねると「お茶とお花やりたーい」というので、
一緒に茶道教室に入ることにしました。

日本人にも人気のコースで、私たちが入るとちょうど満員でした。

お茶の点て方は以前アメリカの友人が来たときに、東京駅近くの「京都館」で学びましたが、
きちんと正座をして、お菓子を出されるのは初めてで、作法も何もわからなかったので、
隣で私をお手本にしている彼女の目線を感じて焦りました。

崩れやすい練り物のお菓子をどうやって口に運んだらよいかなど、色々と迷い、
とにかく早く食べてしまおうと、急いでもぐもぐしました。サザエさんのようにんぐっとつっかえそうになりながら、
これは一度、きちんと一から学ばなければいずれ恥をかいてしまうなと思い、いいきっかけになりました。

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つづいて彼女は生け花教室、私は墨絵の教室へと足を運びました。

ここではあやめの描き方を習いました。途中参加だったあげく、全部見よう見まねだったので、
最初は墨が濃すぎたり、線が細すぎたりしてうまくいかなかったので二枚目をいただいてはじめから再挑戦。

まずすっと一本長い葉を薄く伸ばし、続いて濃い色で根元の小さな葉を描きました。

それから花びら、額、茎の順に筆を運び、最後に自分の名をいれてしめくくりました。

先生から「筆の抜き方がうまい!」と、ほめて戴きました。

色の濃淡の使い分けや、かすれの出し方が難しかったのですが、その気になればもっと上達できるのでは、とこれまた自分の世界を広げるよいきっかけになりました。

向こう隣にいた中国の男性は昔から筆になれていたのか、先生もスタッフの方たちも絶賛していました。

完成すると和紙でできたしおり人形をひとつ記念にいだきました。

shiori.JPG思っていたよりも会場の人数が少なかったので、
このあとどうしようかなとロビーで考えていると、
生け花体験を終えた彼女が自分の花をもって教室からでてきたところで目が合い、
お互いに手をふりました!

体育館のような場所で日本の伝承遊びと、太鼓の教室をやっていたので
二人でそちらに向かうことにしました。
まだ名前も知らない彼女だったので、
私はさっそく自分の手作りの名刺を彼女に渡しました。

「以前我学習中文」(イーチェン ウォーシュエシー ヂォンウェン)というと、

彼女が「そうなんですかー?うれしい」と言ってくれました。

彼女が自分の名前とメールアドレスを書いてくれているあいだに、
私が「我是二十五歳」(ウォーシー アールシーウーシュイ)というと、
「おなじー!」と喜んでくれて、一気に意気投合しました。

手渡された彼女の名前の一文字目は「桂」という字でした。
私の名前は中国語のことわざでも使われている字なのですぐに覚えてくれました。

さっそく二人で目の前にあった羽子板を手にとって、羽根つきを始めました。
二人ともラリーが1、2回しかできず5分で暑くなりました。これが本当の競い合いなら、
きっとお互い顔が墨だらけになって、描くとこがなくなってしまっただろうと思います。

紙風船やお手玉もありました。
中国ではお手玉のような形の袋を足でポンポンと蹴り上げる遊びがあるそうで、
子供のときによくこうやって遊んだよと、やって見せてくれました。

隣のテーブルにのせられた謎のまるい積み木をみて、不思議そうにしていたので、
「これはだるま落としっていうんだよ」と、木槌をもたせてあげました。

まぁ2、3回練習すれば私もできるよな・・と、高をくくっていましたが、意外にも苦戦しました。
私はすぐに諦めて撮影にまわりましたが、彼女は粘り強く、何度も何度も挑戦していました。

そばではインドから来た男の子が、わけもわからないまま
エイエイエーイと、まるごとすっ飛ばしていて、とてもかわいかったです。


darumaotoshi.JPG   

otokonoko2.JPG

otokonoko3.JPG











そうこうしていると太鼓の順番がまわってきました。

私は高校のとき、九州の修学旅行で身につけた
『勇駒』という曲を披露しようとしましたが、
残念ながら勇みきれませんでした。

照れずにちゃんと「ヤー」とか言えばよかった。
ほんとはもっとかっこよくビシっとキメたかった・・

和太鼓はヨーロッパの人にも人気があるようで、隣では背の高い白人の男性がうれしそうにはっぴと鉢巻をつけてもらっていました。「どちらからいらしたんですか?」と尋ねると、まだ日本語がよくわからなかったようで、
「Where are you from?」と訊きなおすと「Germany」と答えました。

グーテンターク、とあいさつしてみると向こうも笑ってグーテンタークと返してくれました。
若いその男性は一人できているのかな?と思いきや、そばで奥さんが小さな赤ちゃんをだっこして待っていました。とってもとってもちいちゃいお顔で眠たそうにしていました。

少しすると7歳ぐらいのお人形さんみたいな女の子がやってきました。
どちらから?と、お父さんに尋ねるとフランスと答えました。
わが子の初めてのはっぴ姿はとてもかわいかったようで、私にはクールにあいさつした彼も、
カメラを構えると、とても熱心でした。

韓国人の中学生ぐらいの少年も自分の勇ましい姿が気に入ったようで、太鼓の前で先生とキメポーズをとってました。みんな日本の文化が本当に好きなんだなぁ・・と改めて感じ、とてもうれしくなりました。

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最後に桂ちゃんの墨絵のようすをカメラをおさめ、色紙に記念のメッセージを書いて会場をあとにしました。

彼女は「月島はもんじゃ焼きが有名なんでしょう?食べてみたーい!」とワクワクしているようだったので、「私、焼くの得意だよ」というと「連れてってー!」と、大はしゃぎ。

彼女は6時からうどん屋さんのバイトがあるそうでしたが、昼間もやっているお店があるから今から行けば間に合うよというと、うれしそうについてきてくれました。

中国のどちらから?と尋ねると、「内蒙古です」と答えました。モンゴルの友達は初めてでした。そういわれてみると、肌の感じや純朴そうな表情がたしかにあちらの人らしいな~と感じさせる雰囲気でした。

2歳上のお姉さんと暮らしていて日本に来てまだ2年ですが、日本語がとても上手でした。

私が桂ちゃんと呼んでもいい?と訊くと、彼女も沙里ちゃんとすぐに呼んでくれました。

もんじゃ焼きは2度目のようでしたが、友達が焼いてくれるのは初めてだったようで、わ~っと、とても喜んですぐに写真を撮り始めました。彼女は控えめながらも、ちょっとしたことでもとてもうれしそうな表現をするので、素直で朗らかでなんだか以前から知っているような雰囲気で話せました。髪形が似ているせいか、なんとなく横顔も似ているような感じがしましたし、おっとり話すところも自分の波長と合っていて、なんだかとてもリラックスできました。

このあいだ、先輩の歓送迎会をやったもんじゃ屋さんのすぐとなりに、同じ系列の新しい店舗ができていて店頭に立っていたお兄さんが
「お姉さん方お二人!待ってました!世界一おいしいよー!」
という呼び声がおもしろかったので、「世界一おいしいっていうからここにしよう」と、
彼女が決めて入ったお店でした。店員さんも感じがよくて、とても居心地がよかったです。

定番の明太もちもんじゃと、豚キムチお好みを食べながら「彼氏はいるのー?」とか
「将来は何やりたい?」などと、いろんな話をしました。
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どんな男性が好きかときくと、「男らしい人」と答えました。

日本の男の子の印象をきくと、「なんだか心配。夜遅くに帰るし・・」と答えたので、「遊んでいそうなイメージ?」と訊くと、うなずきました。実際のところは自分が内気なのでまだあんまりよくわからないです・・と恥ずかしそうに笑いました。


中国の男性は彼女いわく、よく家事を手伝ってくれて頼もしいそうです。
日本では男の人はあまり家事をやりたがらないイメージがあるようだったので、私は最近は男の子も料理上手な子が多くて、逆にできない女の子のほうが増えているよというと、「さりちゃんは餃子作れる?」と、きかれました。

家庭で餃子を手作りする・・というと私にはちょっとしたイベントのように感じますが、無論、彼女たちにとってはそれはごく日常的なことで皮もなにもかもすべて手作りだといいました。

そんな身の回りのことや漠然とした将来のイメージなどを語っていると、短い時間でもかなりうちとけることができました。次はお正月に二人で浅草へお参りにいこう!と提案すると、
「あー!そうですねー!」また、とてもうれしそうな顔をしてくれました。

これから大学入学のためのお金をつくらなきゃいけないので、忙しくなりそうだけれど、
二人で休みの日を作ってぜひまた遊びましょうね!といって駅で手をふりました。

やさしい時間が流れているなぁと感じました。

風邪をひいていましたが、思い切って参加してよかったです。

彼女の穏やかな物腰や素直な表情は、遅く目を覚ました私の背中をそっと押してくれました。

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季節ごとに寄席に足を運んでいるうちに、三味線のもつ魅力に引き込まれるようになった。
 
寄席では噺家一人一人に「出囃子」と呼ばれる登場曲があり、袖のほうでは下座さんたちがそのお囃子を演奏している。
 
先達、浅草一人散歩で駅に降り立つとすぐに浅草演芸ホール・東洋館の楽屋からこのお囃子を練習しているのが聞こえてきて、なんともこの町らしい雰囲気を味わったものだった。
 
また、落語の間には漫才や曲芸などのほかに「色物」と呼ばれる、舞や三味線などの演目がある。
今年の正月寄席で初めて出会った、浅草生まれの浅草育ち・三遊亭小円歌さんはたった二人しかいない三味線落語という芸をもつ女性の一人である。白と桃色と銀色のシックで華やかな着物に身を包まれ、糸の調子を合わせながら謡う姿は美しい。まさに日本女性の美、そのものである。
 
今年の春、東京シティガイドクラブの登録更新を行う際、私はあることに気がついてしまった。
「自分の特技」を書く欄である。私が日本人として胸を張って「これができます」といえるものが何もなかったのだ。あるのは中途半端な外国語会話力と、途中でやめてしまった書道・エレクトーンぐらいだった。これではいけない。日本人として一芸身につけたい。
 
小円歌さんの姿は私の憧れとなった。三味線ならどこへでも持ち運ぶことができる。
着物を一人で着こなし、海外の人の前でチン・トン・シャン・・と一曲でも奏でることができたらきっと喜ぶだろう・・そう思うと、いてもたってもいられなかった。

私はネットで三味線の一日体験教室を探し、さっそく応募のメールを送った。
 
教室は人形町にあった。駅に降り立つと、古びた木造の家や小さな鳥居があり、歴史を感じさせた。
知らない町の澄んだ空気が、今日はよい一日になりそうだ・・と予感させてくれた。
 
教室には12名ほどの生徒が入った。20代後半から30代ぐらいの女性が大半で、ご年配の女性と男性もちらほら。中には着物をきている20代半ばぐらいの綺麗な女性もいた。「長唄を習っています」と、まっすぐな背筋で声を張るその女性は、とてもかっこよく見えた。
 
女流義太夫の方が行っているところこの教室は講師に鶴澤駒治さん、そして我々初心者のサポートをしてくださるのが駒清さん、弥々さん、津賀榮さんというお名取さんたちである。教室に通ってある程度以上の実力が認められると、このように名前をもらえるのである。

座布団の前には浄瑠璃などの公演案内、今日の教本、そして各々柄の異なる手ぬぐいに、毛糸の「指かけ」なるものが配られた。譜面は「いろは」で表記されており、一番太い上弦を一の糸、少し細くなって二の糸、三の糸と順に音が高くなっていく仕組みだった。
 
ふだん寄席で見かける細棹の小さな三味線と違い、義太夫のはとても大きく感じた。手の小さい私にこの大きさは大丈夫か・・?と思ったが、それよりもとにかく撥をもって弾きたいという気持ちのほうが大きかった。
 
「三重」(さんじゅう)という語りの最初に使われる曲のさわりの部分を教わった。
最初は三の糸をどこも押さえずに開放弦で四回弾く。皮に撥先をつけるように力いっぱい弾く。次は二の糸と一緒に。重みのある響きが加わり、ここでぐっと三味線らしさが増してくる。
 
ギターなどの弦楽器には棹の部分に「フレット」と呼ばれる突起があって、それによって音階がかわる。しかし、三味線にはそれがない。どの辺りを押さえれば、その音が出るのかは師匠の指をみて覚えるしかないのだ。だからその壺を「勘所」と呼ぶ。shamisenhajimeyou.jpg
 
隣のおばあちゃんはそれがなかなかつかめないようで苦戦していた。私は小六でやめてしまったが、エレクトーンをやっていたことは意味があったなと、この時改めて実感した。三味線の棹は一本のように見えるが、実は二つに分解することができる。木の凹凸を組み合わせでできているので、継ぎ目がある。
だからこの継ぎ目を目安にして壺をおさえるのだ。
 
「調子三年、勘八年」といわれるほど、満足に弾きこなせるようになるためには、
長年の熟練が必要なこの楽器。

今、目の前にいる師匠も初めからうまく弾けたわけでは決してなかっただろうと思った。
楽譜に書いてある文字は特殊でしっかりと説明を聞いていないと、ついていくのは少し大変だったが、一生懸命自分の指に「こうだよ、こうだよ」と念じながら弾いていくと、しだいに思ったとおりに指を動かせるようになってきた。
 
その頃には両足にかかる自分の体の重みも、バチを支える右手もかなり痛くなっていたが、物語がいよいよ始まるという所でのテテテテテテテンと指をスライドさせながら調子が上がっていく部分を弾けた時には、いかにも三味線を弾いているという感じがして、とても気分が高揚した。
 
最後に通し演奏をして、二時間の講座をしめくくった。
 
かなりの手ごたえがあり、なかなか簡単には弾けない分、最後にみんなで合わせられたときの達成感は大きかった。それまでピンと張っていた教室の空気がふっとほどけた瞬間だった。
 
太棹でこれだけ楽しめたのなら、細棹の教室が見つかればもっと打ち込めるだろうと強く感じ、新しい世界を発見できた喜びに包まれた。
 
教室の外に広がる味わいのある町並み。「長唄を習っています」と美しい声でこたえた女性の凛とした着物姿がふたたび目の奥によみがえり、これからの挑戦に希望がわいた。

今年は元旦を迎えてからずっと、「和」にこだわった時間を過ごしたいと常々思っていた。
初めて来日するアメリカ人の友人ジェレミーに心ゆくまで日本を感じてもらいたい・・
一昨年、東京シティガイドの試験を受けたのも、それがきっかけだった。
彼が純粋な気持ちでニッポンをみてくれているから、私も「和」を大切にしたいと思ったのだ。


歌舞伎・能・狂言と並んで、私の好きな日本の芸能の一つに「落語」がある。
休日土曜の午後2時をまわる頃、NHKではな木久蔵の描いた挿絵を背景に
「日本の話芸」という番組タイトルの白い文字が浮かびあがり、
ピッピリ~と、心地よい笛の音が流れる。
そのオープニング曲を聴くと、「あぁ、今日はどんな噺を聴かせてもらえるんだろう・・」と、
まだ見ぬ名人の登場に期待が高まるのだ。
そんな楽しみを知り、今年はたくさん寄席に行こうと強く思っていた。

浅草は正月に1回、上野の鈴本には3月に1回、4月に2回、5月に1回、
そして7月は『大銀座落語祭』に2回と、これで7回足を運ぶ計算になる。

私はこの祭にはなんとしても「正装」で行きたいと思った。

夏の落語にはやっぱり浴衣でしょう、と。


去年見立てた、白地に青の浴衣に合う下駄を探しに、今日は母と浅草へでかけた。

大江戸線で新御徒町からつくばエクスプレスに乗り換えて一駅。
降り立つとすぐに、正月に行った東洋館の楽屋からお囃子の音がきこえてきた。

やっぱりたまんないなぁ、夏の浅草は。


母が昔、着物の好きな祖母と来た記憶を頼りに、田原町方面へ向かって歩く。

途中、八つ目鰻の看板を目にし、過労で栄養不足の母が気にしている様子だった。
健康番組などで、必要な栄養素の項目欄で頻繁に書かれているそうだ。
この頃、視力が落ちてきた私にとっても、八つ目鰻はいいらしい。
けれど今日に限ってシャッターは降りていた。

その通りにあった横断歩道の向こう側には「漢方薬」と大きく書かれており、
近づいてみるとそこは、さっきの鰻屋の姉妹店のようだった。
つい最近私の友達も体の悩みを根底から解決したいなら漢方がおすすめだといっていた。
いざとなったらここへ来よう。

そう思いながら、その場所をあとにして、雷門通りへと向かった。
角をまがったところに一軒の風格ある履物屋が見つかった。
ショーウィンドウに飾られている下駄の手前には手のひらサイズの飾り下駄もあり、
とても可愛らしかった。

さっそく中に入ってみることにした。
母は昔、デザインの仕事をしていたため、色を見る目は確かだった。

帯は紺色に白い刺繍が入っているので、そんな雰囲気にあう鼻緒を探した。
ニ、三足気になるのがあったが、第一印象で最も目を引かれたのがこれだった。

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黒や檜や茶色の板はよくみかけるが、紫というのはなかなかない。
この道何十年という女将さんも、

「お嬢さんの足なら調整なしでこのまま履けますよ」と、太鼓判を押した。

さっそく試してみると、履き心地はとても軽かった。
今までだと、よく鼻緒にあたる部分が皮むけでヒリヒリして痛くなっていたので相談してみると


「あぁ、それは硬い鼻緒のでしょう?これならとってもやわらかいから大丈夫。
絶対にそんな心配はいりませんよ」

と、自信をもって勧めてくれた。

素早く、力のあるその女将の一言に、私と母は顔を合わせてうなずいた。
レジでもらった名刺には『浅草のれん会 御はきもの処 和泉屋』と、書かれていた。
いつかまた大人の着物を着るようになったらここへ来よう、と思った。


思ったよりもだいぶ早く目的を果たせた私達は、今夜のお食事処をさがして
上機嫌で再び歩き始めた。

雷門に向かって進んでいくと、映画原作『しゃべれども、しゃべれども』の表紙を飾った
国分太一の写真が目のわきに映り、気になって振り返ると一台の機械があった。

何だろう、と二人で足を止めると「千社札」と書かれてある。

自分の名前を入れて、好きなデザインでつくれるらしい。

おもしろそうだね!と、二人で百円玉を投入してみた。

まず最初に構成のパターン、名前の位置決めと入力、文字の種類、
そして最後に背景のデザインを選ぶという4つの工程があった。

さっき買った下駄の色が印象に残っていたので、それに似たような色を選んだ。

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●●亭などと入れることもできるようだったが、初めてで要領を得なかったので
とりあえず今回は自分の名だけにしてみた。
ジェレミーに教えたら喜ぶかもしれないなと思い、この場所を覚えておくことにした。

思わぬ発見ができたうれしさで足どりはさらに軽くなり、
雷門をぬけて仲見世に入っていった。
アジア系の観光客がパチリ、パチリと色んな方を向いてシャッターを切っていた。
平日なので、人はさほど多くなく、一軒一軒のお店をゆっくりと見てまわることができた。

中でも気になったのが、招き猫の専門店。窓一面にねこ、ネコ、猫。
さらに奥にはソーラーでゆったりとしっぽをふって笑う猫なんかもいたりして、
これはOn Japanのディスプレイにうってつけなのではないか、と思った。

棚がえがおわって、細かい調整に入る時、置けそうならばおいてみよう。

いやー、今日はいい出会いがつづくなぁ。


楽しくなってさらに足を進めると「すぐれもん」と書いた和菓子を発見。
しゃれた名前のそのレモンのお菓子はたしかにおいしそうだったが、
私は、その横にあった「おいもパイ」が気になった。

見つけたとたんに食べてみたくなったので、せっかくだから
いつもお世話になっている売場のみんなにも買っていこうと思い、
一箱包んでもらった。明日、仕事の合間に封を切るのがとても楽しみ!

表参道まできたところで左に曲がり、「伝法院通り」に出た。

仲見世の煌びやかな雰囲気とは違い、濃紺や濃緑に染められたのれん、
そして濃茶の木造の建物が軒を連ね、昔ながらの浅草を感じさせる。
たい焼き屋や、帽子屋、古書店といった並びの奥には
江戸文字に木の看板を掲げた風格ある着物屋が店をかまえ、
BGMにはお囃子が流れていた。

なんて粋な町なんだ。本当に・・  そう呟くと、

「梅雨の浅草はしっとりしていいもんよ」と母がいった。

私はこの通りがとても気に入った。

極めつけは角を右に曲がったところにある赤提灯の店だった。

外にはいかにも下町の飲み屋という感じの丸いすと長机が並び、
前を通るたびにおばちゃんの威勢のいい呼び声がかかってきた。
どこがいいかなぁ・・と見ながら歩いていると、三軒目で母が足を止めた。
同じ赤提灯でもさっきより少し静かな雰囲気のする店だった。

生を2つと、牛すじ煮込み、それになすあげを頼んで間もなく、
わきの車道から一匹の猫がやってきた。

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ごらんの通り、そんなに愛嬌のある子ではない。

けれども、人があまり得意でないながらも、そのそばを離れず、
母の手や椅子にすりよる姿がなんともいじらしく、
箸をとめてしばしその光景を眺めていた。

父がいたら、きっと喜んでいただろう・・
酔えば、実娘の私のことでさえ飼っていた猫の名前で呼んでいたのだから。

「ちょこ、お前もお酒のむか?」

と、今頃いっていたに違いないと思うより先に、私の口はそういっていた。

下駄屋の女将さんに始まり、今日は一日ずっといい出会いばかりだった。

とても幸せな気分になった。

ほんの少しのビールで、いつもよりハイになった。


いつもはあまりしゃべらず、笑っていてもどこかさみしそうな母も、

今日は心から喜んでいるようだった。


浅草って、やっぱりそういう町なんだな・・・






これといった理由はなかったけれど、しばらく書くことから離れていた。

書きたいことはたくさんあったけれど、あまりにもその出来事が大切すぎて
自分のつたない表現力では書ききれないような気がしていたからかもしれない。
それでも季節が変わると、真っ白なままであるこの場所が「書きなよ」と私を呼び止める。
16歳のとき、国語の授業で『羅生門』の感想文を書いてから、
言葉を使って自分の心に映った風景を描くことが好きになった。

それから9年の間、折にふれ綴ってきた「今」を読み返すといつも、
その五感のすべてで味わっていたその時間が胸に広がってくる。
 
なんとなく書けずにいた長い時間を経て、今、
そんな感覚をもう一度味わいたい気持ちになった。

忙しさに押し流されて消えてしまうことのないように、その日の色を残す。

今日は母と築地の半額市へ行ってきました。

あいにくのお天気で少し寒かったけれどやっぱりあの場所は歩いているだけでとても楽しい。

移転なんてとんでもない話です。

今朝はまず蔵やというところで海鮮丼を食べました。

母は1400円の春海丼・・(☆サーモン、まぐろ、いか、こはだ、平目)

そして私は1700円のいろどり丼・・(☆たっぷりのねぎとろ、いくら、そしてうに!)

という贅沢な丼。

風邪で喉と胃が弱っていたので、ねぎとろやうにのまろやかさがとてもおいしかったです。

初めて築地デビューしたときに食べた別のお店の三色丼は、

ネタが小さくてとてもがっかりしましたが、今日のはそれぞれ満足のボリュームでした!

その蔵やから2軒ほど隣に、「すし」とちょうちんで書かれたお店があり、

こちらは私たちが店をでてもう一回りした頃には、かなり行列になっていました。

こちらは築地市場駅でもでっかく紹介されている海鮮ひつまぶしが食べられるお店なんです!

次回はここに行ってみようと思っています。

むふふ。



さてさて、おなかもいっぱいになった私たちは、

この間割れてしまった急須の2代目を買おうと物色。

その途中、途中でさまざまなうまいもんに遭遇しました。


まず一番最初に山形山芋そばと金ごまを買いました。

それから玉子焼き屋をじっとみていると、「たまご屋さんのたまごプリン」なるものが!

一度は通りすぎたのですが、やっぱり風邪で弱っている私に栄養をつけさせたい、

といって母が1ケ買ってくれました。250円でした。

夕張メロンのような淡いオレンジ色をしていて、とてもなめらかな口あたりでした。

それからその途中の道にあったでっかいどら焼が目に入り、あん好きの母が

私の顔をおんなじ大きさのを2個もとったので、1個にしておきなよ、とたしなめておきました。


その店と同じ通りに私の大好きなスナック菓子の専門店があり、ここでは好物の

おくらまるごとスナックを買っていきました。

さくさくなのに、あのネバネバ食感はちゃんと残っていてクセになるお味です!

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そして次のお店で母が見つけるや否や手にとったのが

「国産甘梅酒梅」というものでした。これは梅酒につけこんだ青い梅のおつまみで、

つけた梅酒ごとパックされているものでした。

みたところとてもジューシーで梅が好きな人には良さそうな一品でした。

私はすっぱいものはちょっと苦手ですが、時々ちょっと高めな居酒屋に行くと出てくる

紀州の南紅梅が大好きです。これは甘味があってほんのりとした酸味とやわらかい果肉で

日本酒好きにはたまりません。


さて、その甘梅酒梅のお店「広洋」で母が買い物をしている間、目に入ったのが

エリンギの青唐辛子炒め・・こ、これはビールに合いそうだ!たくさん入って一袋900円!!

たまらんぞ、たまらんぞ☆でも、のっけから飛ばしすぎているような気がしたのと、

二人にはちょっと量が多かったので辞めてしまいました。

でも次は絶対買おう!ぐふっ♪


練り物やさんの角を曲がって細い路地に入ると、

せいろに入った中華まんがほのかな香りをただよわせて、食欲をそそりました。

1ケ80円のちっちゃな中華まんの8ケ入りを買って足を進めると、

数の子に、甘たらこ、すじのこ、大トロ・・と、思わずぺろりと舌をだしたくなるような

新鮮な海の幸のお店が軒を連ね、目移りしておりました。


母は「丸善水産」の干物が気になっていたようで、しばらく見ていると、

脇から大きなめがねをかけた

おじいちゃんが「お姉さん、干物もっていきな!うまいよ~」と声をかけてくれたので、

勢いがついて母もかさごとほっけを手にとっておじいちゃんに渡しました。

レンズの奥の目が大きく見えて、とってもかわいらしいおじいちゃんでした。

書物が豊富な丸善もあれば、

海産物が豊富な丸善もあるのだなぁ…と思いながらお店をあとにしました。

IMG_0256.JPG








さてさて、こうして久しぶりに母とわくわくしながらお買い物を済ませると、

以前アメリカの友人が来日したときにいった「うりきり屋」という瀬戸物やさんが見えてきました。

ここはたくさんの食器があり、彼らも長い時間とても楽しんでいるようだったので、

何かいいものがあるかもしれないと思い、傘を畳み、店の中へと進みました。

私の好きな緑色の、深蒸し用の急須があったので、これを買うことにしました。

別の女性客が手にとった湯のみ茶碗には、

ちいさな人形がうに~っと湯飲みの壁にへばりついたかっこうをしている

とてもチャーミングなもので、この間一緒に来たEmilyという友達が、

とても気に入っていたものでした。

そんな彼らのことを思い出しながら、とても幸せな気持ちで店をあとにしました。


その先には郵便局がありました。彼女が日本を離れてから1週間ぐらいして

送ってくれたカードにとても素敵な写真と、うれしいメッセージが書かれていたので

私もそのお返しにと、まず写真をプリントアウトするためにプリンターを買い

以前にうちの店でEmilyが喜びそうなものを選んで買っておいた

桜にかこまれて着物をきた女の子の紙人形のメッセージカードと

たくさんの思い出写真をそえて、カンザス宛てに送りました。

それからバスに乗りました。

バスの後部座席に母と二人で並んで座るなんて子供の時以来のような気がして

とても楽しかったです。


いい一日でした。

エアメール、早く届くといいな…





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Me
HN:
沙り
年齢:
42
HP:
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
セレクトショップスタッフ
趣味:
ジョギング・写真      伝統芸能・祭・旅
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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