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雨に打たれても風に吹かれても、ただじっとそこに根をはり、堂々と広がる桜。長かった冬がようやく終わったんだ。あぁ、やっと春を迎えられたんだな・・

そうしみじみ感じられるのにはちょっと理由がありました。
 

ワンルーム14畳に対して、多すぎる本と衣装と家具。机ひとつで母と私のエリアを区切り、四方八方自分より背の高い家具に塞がれて、寒さと狭さに身を縮こまらせて眠る毎日。寝ても起きても体が重く、心も解放されず「さむい・・ねむい・・」と、家にいてもまったく活動しない私を見かねて、とうとう母が大規模な部屋の模様替えを決意。
慎重に長さを測り、重たい思いをして隣町のホームセンターから組み立て用の本棚をうんせと二人で持ち帰り、試行錯誤の末ようやく完成!


陽の当たる場所、大きな机、すっきりした本、お気に入りのステレオ・・そして大の字になれる寝床・・あぁ感無量・・広々としたスペースに移ったので、これからは心機一転、やりたいと思っていたことどんどんやっていこう!と、決心しました。

こうして一週間ほどかけて、おおかた部屋も片付いた休日のお昼過ぎ・・母と私はいよいよ花見支度を始めました。

隅田川沿いに住んでいる私達母子のこの季節の楽しみは水辺の公園の桜とお弁当。

いつもは二人が仕事を終えたあと、まだ少し寒さの残るなか夜桜を見に行っていましたが、
今年は温かいうちに外へ出ようということになりました。

啓蟄を迎えた虫のように元気になった私もようやくやる気がでてきて、母の手料理をひとつひとつ受け継いでいこうと積極的に台所に立ちました。

我が家のお弁当には「ほうれん草のたまご巻き」というのが必ず入っていました。ちょうど細い巻き寿司を切ったような形をしていて、たまごは外れないようにつまようじでとめてあり、噛むとたまごの甘みとほうれん草のおひたしがちょうどいいバランスで、遠足の日はそれをつまむのが一番の楽しみでした。

今日はほうれん草がなかったので、菜っ葉のおひたしを箱の下側に、上のラインには卵焼きを並べて、菜の花に見立てようという母。このあたりはなるほど、長年デザインの仕事をやっていただけあるなと感じました。こうして私はまずオーソドックスなたまごやきづくりから挑戦することにしました。


しばらく使っていなかった子供サイズの小さな四角いフライパンを手にすると、たしかに昔、踏み台にのって母と一緒に作ったな・・ということはかすかに憶えていましたが、具体的な手順やコツなどはまだ知らないまま・・

 

私は最初に「お手本をみせて」といいましたが、母は「とにかくまずやってみなさい」といい、すぐに卵を流し込まれました。どうやるんだっけな・・と、ちょっぴり焦っているさなかにも卵は少しずつ硬くなっていきます。結局、最初は”スクランブルの包み焼き?”というような感じになってしまいましたが二度三度と、諦めずに作っているうちに、母が最初に言っていたことがなんとなく手の感覚でわかるようになってきました。

 

シンプルなたまご焼きのほかに、明太子入りのたまご焼きをつくってみよう!と、今度は私のほうから投げかけました。以前、高校時代の親友と10年ぶりに再会したときに連れてってもらった和風ダイニングで食べたものでした。

 


私のなかでは「こんなやつ」という画がちゃんと浮かんでいましたが、母は最初、それがうまくイメージできなかったようで、口で説明はしたものの、どうやら捉え違えをしてしまっていたらしく、今度は母があたふたしていました。そこで私が舌の記憶を頼りに、きっとこうやって作るんだろう・・と、やってみたら大成功!ふわっふわのとろっとろ。おいしい明太子入りたまご焼きがついに完成☆

 

おにぎりもちょうどいい形に握れました。それから母がこの日の為に買い揃えておいたお肉やお惣菜を詰め込んで、水筒、割り箸、おてふき、カメラ・・全部が整い、いざ出発!両手にピクニックの荷物を抱えて、私は子供のようにそわそわそわそわ・・


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           (写真をクリック☆大きくしてお楽しみください♪)

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朝から吹きすさんでいた大きな風も、その時には少し落ち着いて、下町の路地にはぽかぽかとやわらかな陽射しが注いでいました。木陰のベンチではおばあちゃんが昔ながらの渡し舟をスケッチ。カメラをかまえてすぐ、去年も別の桜の下で赤い小橋を描いていたおばあちゃんだと気づきました。公園を歩けば噴水のまわりではしゃぐ子供達。ここにいるすべての人たちがみな、
春を喜んでいるようでした。

 

階段をおりて川沿いにくると、芝生の上にちょうどいいベンチがありました。ようやく荷物を降ろし、向かい合ってお弁当を広げたところで、母の写真を一枚。毎日の勤めで多少疲れも残っていたようですが、ちゃんと心から笑っている顔でした。

 

しばらくすると、ひょこひょこと鳩たちが「あ。ごちそう。いいな~ちょうだ~い。」というような顔でおもむろに近づいてきました。すると母はまるで村の賢いおばあさんのような口調で

「目を合わせるな」

と、すかさずいいました。

「目を合わせるとあいつらは調子にのってどんどんくるから」

そんな長老の教えを受け、私も物欲しそうな鳩を尻目に、ごちそうをほおばり続けました。
おにぎり、お肉、菜の花、筍・・と、選ぶのが本当に楽しく、パクパク食べていたら口がもごもごしてきたので、仕事場で使っているのと同じ水筒を、いつものようにガバっと口に傾けると、入っていたのはなんと熱いお茶!一瞬にしてやけどをしてしまいました。


「なぁにやってんの。だからさっき家で熱いの入れたから飲む時気をつけてっていったじゃん!」

あぁ、そうだったよな・・と、私も熱い思いをしてから思い出しました。

「そういえば、お前はちっちゃいときもうっかりストーブの上に座っておしりにやけどしたことあったね・・ほんとにばかだったんだねぇ」

と、二人で大笑い。それから色んな昔のたわいのない出来事を二人で思い出して盛り上がりました。

 

普段、どこかの店で外食をすると「なんだか贅沢をしているんじゃないか・・」と、不安がってなんとなく大人しくなってしまう母も、今日はいっぱいおしゃべりをして、なんだか楽しそうだったので私も安心しました。

 

段々風も出てきたし、おなかもいっぱいになってきたし、鳩もこりずにやってくるので、そろそろお開きにしようということになりました。

 

やけどしたあとビールで冷やしたので、ほろ酔いですっかり眠くなり、陽だまりのなかでふーっと体の力をゆるめると、とても気持ちよくなりました。

 

小さい時は、(どうして父さんはいつもお弁当を食べるとすぐ一人で寝てしまうのかなぁ・・)と、ちょっぴり寂しく思っていましたが、今日ようやくその気持ちがわかりました。


そうか、父さんもその時こんなに幸せだったんだなぁ・・




 

広げた荷物をかばんにしまい終わると、母が

「やけど痛そうだからソフトクリーム買っていこう」

と、いいました。近くのお店に入るとコーヒーのいい匂いがして、おいしそうな手作りパンも並んでいたので、明日の朝食にひとつずつ選びました。
 

帰り道、荷物いっぱいの互いの手がぶつかると、母はぎゅっと握って、

「お前の手はいつもあったかいねぇ・・」と、いいました。

 

そして子供の頃のわたしの口まねをしながら、

 

「かあしゃんのおててはいつも冷たいねぇ。
大丈夫だよ、しゃりちゃんがあっためてあげるからね」

 

そういいながら、よく小さい両手でさすってくれたんだよ、と話しました。

「あの頃のお前はどこにいっちゃったのかなぁ・・」と、ぼやいている母の横で笑いながら、(今日のことはずっと覚えていよう・・)と、
お堀の桜を見上げ、あらためて一つ一つを心に焼きつけました。

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 先日、会社に行く時、うっかり携帯電話を忘れてしまいました。休憩時間になるといつも携帯を開いていただけに、ないとなるとどうにも心持ちが悪い・・さて、どうやって時間を潰そうかと辺りを見回すと、台車の上にあった一冊の本が目にとまりました。
  
若い女性が着物に三味線・・おぉっ!これはまさしく私が憧れていた姿!しかも帯には「OLから心機一転」とある。「今日、携帯を忘れたのも何かの縁!」と、運命を感じた私はさっそくその本を手にとり、夢中で読み始めました。
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 倉敷の薬問屋の旧家に生まれ、何不自由なく育った筆者が、なかなか「これぞ!」という自分の道を見つけられず26歳の時、東京に出ればきっと何でもできる!とやってきてから、俗曲師となるまでの様々な出会いと模索の日々を綴った手記で、「日本人なのに日本のことを何も知らない。けれど強く憧れる、そして何か自分もやってみたい・・」という思い、着物に三味線、そして転機が訪れた26歳という年齢・・今の自分とぴったりと一致するこのうめ吉さんに、とても親近感を覚えたのでした。
 
 
家に帰ってさっそくHPで出演予定を調べてみると、2月上席【浅草演芸ホール 夜の部】とあり、これは行くしかないと今日の休みを楽しみに待ちながら、写真と文字でしか知らないうめ吉さんへの憧れを強めていくのでした。
 
 
ニ、三日前まで降っていた雪もすっかり溶け、陽射しもまだほんのりと温かい三時過ぎ、早めに支度をして出かけると、着物を着た女性たちが浅草演芸ホールの前で写真を撮っていました。私もせっかくなのでと、こののぼり旗のにぎわい座を自分の携帯におさめ、少しでも近くでうめ吉さんをみる為に昼の部の終わりの方から早々と入場して一番後方から全体を眺め、前列の席が空くのを今か今かと待っていました。
 
 寄席の開始から、うめ吉さんの出番までは実に四時間。いくら落語好きの私でも、ずっと座りっぱなしはさすがにきついだろう・・と思いきや、今日の芸人さんはなかなかみなさんおもしろく、時間はあっという間に過ぎていきました。
 
時計の短針が五から六へ向かうその一番最後の幕に現れたのが「江戸売り声」で人々から親しまれている和風漫談家。登場するや「待ってました!」と常連のおじさんたちが威勢よく声をかけ、とてもうれしそうに微笑みかえす、その黒い羽織には「宮田章司」と書かれていました。
 
「薬というのは今じゃドラッグストアに行かなきゃ買えないが、昔は向こうから売りに来た。便利な時代でございました。」
 
と、その時代のエピソードを織り交ぜながら、一曲、二曲と歌っていると常連のおじさんが「いい声だねぇ・・」と、しみじみかみしめるので「すっかり気分がよくなりました。どうぞみなさま、ここらへんでご注文を!」と、言い終わらぬうちにすかさず「ラオ屋!」という声が一番前の席から飛んできました。
 
ラオ屋とは漢字で「羅宇屋」と書き、キセル(昔の煙草)の詰まりなどを修理する人のことをいうのだそうです。キセルの材料となる竹がラオスから入ってきたことからこの名がついたのだそうです。
 
そういった昔の様々な物を、ここにいる常連さん達はみんなリアルに見てきたんだな・・そう思うと、とてもうらやましく、そういった情緒をほとんど感じることができない時代に生まれたことがちょっぴり悔やまれるような気さえしました。
 
つづけて「金魚売り!」「七色唐辛子!」と、次々に古きよき日本の情緒を感じさせる声が次々に飛んできました。七味ではなく「七色」というところがさすがこの時代をよく知ってらっしゃる!と、宮田さんも大喜び。観客と一体となって、会場はとても盛り上がっていました。そのおじさんたちの生き生きした姿と、浮かんでくる昔の町の様子に心を動かされ、「今日はとてもいい出会いをしたなぁ・・」と、感じることができました。

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それから神田紅さんの講談や、ギター漫談やマジックショー、三遊亭一門の落語など八組の演目が続いたあと、いよいよめくりが「うめ吉」という名前に変わり、背筋がピンと伸びました。
 
袖からそろそろと梅の着物で目の前に歩いてきたうめ吉さんはとてもお顔が小さくて、細くて透き通るような声をしていました。本には「お稽古ではさくら師匠に相手にもされなかった」とか「三味線も唄も満足にできない」と、色々な苦労が綴られていましたが、高座ではそんな舞台裏の苦悩は感じさせないほどとても美しい音色で、何にも知らない所からたくさん研鑽を積んだあとがうかがえました。
 
新橋で芸者さんたちの舞踊を見て感激したことがきっかけで三味線を習い始め、そして長唄を習い、それから芸暦が浅いのをなんとか頼み込んで寄席囃子研究生になり、下座として寄席を袖から見ながら色々なことを吸収していくうちに、さくら師匠から突然、寄席の芸人としての道を示されたことなどを頭の奥で思い返し、隣の席の若い人はきっとそんなこと知らないんだろうなと密かに楽しみながら、今日の晴れ姿を眺めていました。

三味線の音だけでなく、衣裳にもこだわり、日本女性の美しさを追求していったうめ吉さん。口紅の色、髪の結い方、草履の高さ、そして着物の着方ひとつにしても、優雅に見える裾の長さ、帯のボリューム、そして帯紐との色合い・・細部にまで気を配り、たくさんの先輩方に意見を聞きながら、ひとつひとつ「なんかおかしい」と感じる要素を排除して、「あら、いいわね」と言われるようになっていったそうです。その過程は闘いでもあり、また喜びでもあると著書の中で語っていました。
 
高座では大人しい口調で三曲ほど紹介してくださったあと、最後に舞を踊ってくださいました。これを習得するのにどれだけのエネルギーと時間を要したのだろう・・と、思いながら眺めていると、白い屏風にくるくると舞い踊る影が映っているのが見えました。そのシルエットは非常に女性的で美しく、まるで名人・正楽師匠の切り絵のような、そのたおやかさに心を奪われました。色々と座り比べた挙句に今の三列目真ん中の席「う-11」を選びましたが、細かい表情や動きもよく見えたし、何よりうめ吉さんの「う」と三味線の糸のようで、偶然とはいえいい席を選んだなぁと、後から思いました。夢中になっているとあっという間に終わってしまいましたが、こんなに早くお目にかかれて本当によかったです。 
 
さて、トリには笑点でもお馴染みの三遊亭小遊三さんの師匠・遊三さんが登場し、貧乏な長屋連中が番茶を水で薄めただけの「酒」と、大根を月型に切っただけの「かまぼこ」、そして、沢庵を四角に切っただけの「玉子焼き」を、あ~ぁと嫌々口にしながら、場を盛り上げるために無理やり酒に酔ったふりをさせられる「花見長屋」という噺を最後に、今日の高座の幕が下ろされました。
 
とても満足した気持ちで演芸ホールを後にし、去年の正月に食べたひつまぶしの店、「うな鐵」に思いを馳せつつ、駅のホームで電車を待っていると、ちょうど後ろのベンチに辺りで一杯ひっかけてきた中年サラリーマン三人組が陽気に話しながら腰掛け、会話がなんとなく耳に入ってきました。
 
「こないだ酔っ払っちゃって終点の光が丘まで行っちまってよぉ・・そのあと戻ろうとしたら今度は勝どき通り過ぎちまって・・」
 
「えぇ、そりゃ奥さんに怒られたでしょう?タクシー使ったんですか?無実を晴らすために・・イヒヒ」
 
「いや、終電にはなんとか間に合ったんだ。だけどなぁ、こんなのは序の口よぉ。前なんか俺、三浦半島まで行っちゃったんだから・・」
 
「え?それでどうしたんですか?」
 
「慌てて周り見てみたら、駅のシャッター、ガラガラガラって駅員が下ろしてんだよ。
今日はもう終いですってな。それでよう、私、上大岡なんですけど、こっから帰る方法ありますかねぇ?って聞いたんだよ。」
 
と、今度は駅員の口調をまねて
 
「う~ん、国道まで出ればタクシーはあるかもしんないですけどねぇ・・あっ、でも今日は雨ですからここら辺は通ってないかもしれないですねぇ・・」
 
と、しゃべり分ける様子や、聞き手の様がなんだか落語の延長みたいで、最後の最後についてきた意外なおまけを背中で楽しんでいると、ほどなくして自分の電車がやってきて、段々サラリーマン達の話し声が遠くなっていきました。
 
そのまま何の気なしに足を進めましたが、浅草駅が見えなくなったあと、つり革につかまりながらさっきのサラリーマンの会話を思い返し、「本当の落語通なら落ちまで聞いてから電車に乗るべきだったかなぁ・・」などと一人で密かに笑い、楽しい一日の終わりをかみしめながら家路についたのでした。

匠の技 ~注染手ぬぐい~


◇◆注染とは?◆◇

注染(ちゅうせん)は、明治40年頃大阪で始められた伝統的な染物の技法で、浴衣や手ぬぐいなどに独特の風合いをもたせるものです。

しかし、その作業はとても繊細で大量生産は難しく、プリントものが多く出回っていく現代の流れので、次々と工場はなくなってしまい、注染手拭をすべて手作業で製造している工場は関東では唯一、「中村染工場」だけなのだそうです。


◇◆なぜ「注染」というか?◆◇

作業の工程として文様となる型を置き、全体にまず糊づけをしてなじませたあとで、文様の輪郭となる部分となるところを太い糊の枠で囲い、そこに染料を注いでいくのです。このことから注染と呼ばれています。

この、糊で囲う作業がきちんとできていないと染料がまざりあい、模様がきれいに出なくなってしまいます。両手にそれぞれ違う色の染料をもちながら、決められた枠内に染料を注ぐ分量と速さで仕上がりが決まってしまうので、その加減を見極めながら行います。

「まとめて染まる代わりに、まとめてだめになる」と、中村さんはこの作業の大変さを語っています。


◇◆手染めの特徴◆◇

プリントものは表面だけを印刷するため、ご覧のように裏が白くなってしまうのに対し、注染は生地全体に色を染み込ませるので、裏まできれいにそまるのが特徴です。それが「本物」である証ともいえますし、そうすることで手染めならではの風合いもでます。

 
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【プリントものは裏が白い】 



◇◆中村染工場さんの作品◆◇

冒頭でご紹介した中村染工場のページです。ちょっとした贈り物にいいですね☆
くわしい作業工程も載っています!

【中村染工場】http://www.nakamura-some.com/


手拭といえば落語でも、扇子と並んで重要な小道具のひとつ。手紙や本などを開く時のしぐさに使われたりもします。昨年の大銀座落語まつりでは、私の大好きな古今亭菊之丞さんが観客へのプレゼントとしてご本人が使われているのと同じデザインの手拭を客席に向かって5、6枚くるくるくるっと投げていらっしゃいました。私はうしろのほうの席だったのでまったく届く気配はなく、前列の人たちがとってもとってもうらやましく思いました。う~ん、今年もまた行こうっと!



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お節料理のあとは七草粥ですね。
でも意味や由来については、
漠然としかわからなかったので
今日は勉強してみることにしました。






【由来】中国の「人日(じんじつ)の節句」から


1月7日は中国で人の一年の吉凶を占う日とされていました。

この日が晴天なら吉、雨天なら凶といった具合です。

日本への伝来は平安時代の頃とされ、以来、神前に若菜をお供えして邪気を払い、一年の無病息災を祈るようになったとのことです。

 

ちなみに昔の中国では1月1日から8日までそれぞれ家畜や、穀物を当てはめ、それぞれの吉凶占いを行っていたそうです。1日が鶏、2日が狗、3日が羊、4日が猪、5日が牛、6日が馬、8日が穀の日と割り当てられていました。



 

【七草の意味と効能】7Herbs

七草はそれぞれに効能があり、年末年始に不足した栄養を補うのにとても利にかなった食材がそろったいわば薬膳料理のひとつといえます。そしてお節料理と同じように、使用される若葉にもそれぞれ意味があります。

 

セリ=競り勝つ 【健胃・整腸・血圧をさげる】

ナズナ=撫でて汚れを除く
【=ぺんぺん草:利尿作用】

ゴギョウ=仏体
【咳を鎮める】

ハコベ=繁栄がはびこる
【歯槽膿漏】

ホトケノザ=仏の安座
【解熱・解毒】

スズナ=神を呼ぶ鈴
【=カブ:利尿・便秘解消】

スズシロ=汚れのない清白
【=大根:食欲増進・利尿作用】

 

セリやカブ、大根は食べたことがあるけれど、ぺんぺん草まで使われているとは知りませんでした。名前をきいてもどんな植物かすぐには浮かんでこないものが多いですよね。向島百花園ではみられるみたいです。

さて、我が家の七草ですが、今年はトッピングがおもしろかったです。
写真には写っていないのですが、油揚げをごまで炒って醤油でちょっと香りづけしたものがとても香ばしくていいアクセントになっていました☆

え~、私、寒さ対策には人一倍気をつけているつもりだったのですが、年末の殺人的な忙しさには勝てずとうとう風邪でダウン・・ウィルスと共に年を越し、あまり実感のないまま2008年が明けてしまいました。

職場ではさまざまな変化に対応するのが大変だった一年。
自然と今の自分よりもうんと高い所にハードルを設定してしまい、プライベートよりも仕事の方に多くのエネルギーを傾けていました。苦しかったのは確かですが、それでもなんとか理想を実現しようとする中で、
本来の自分に気づけた年でもあったので、思い残すことはありません。

今年は「どちらもバランスよく」を意識してやっていきたいです。

風邪で新年早々一週間も寝込んでしまいましたが、ようやく症状が落ち着いてきて、
今朝は大好きなNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」を見ていました。

不器用で、いつも後ろ向きで、何をやっても途中で投げ出してしまい、いつも自分は主役にはなれないと諦めながら生きてきた主人公・喜代美が、変わりたいと福井の実家を飛び出し、やってきた大阪の町でひょんなことから女将さんの死をきっかけに高座に上がれなくなってしまった落語家・徒然亭草若の家に迷い込み、バラバラになった弟子達を呼び集めて一門を再結成しようと奔走します。

そしていろんな挫折を味わいながらも、落語を愛してやまない兄弟子たちの生き様を
自身も幼い頃、祖父が聞いていた落語に生きる力を与えられ、
共に師匠の落語を受け継いでゆこうと決意し、成長していく女の子のお話です。

「内弟子修行中は恋愛禁止や」といわれ、ひたすらに兄弟子・草々への思いを胸にしまいながら、
稽古に打ち込んできたのですが、年季が明け、いよいよ二人が結婚。
ところがおかしな登場人物たちが次々と自分勝手な言動で花嫁気分を台無しにし、
しまいには大騒ぎ。

「やっぱり自分は主役にはなれないんや・・」

と、縁側に白無垢姿で佇みながら落ち込んでいる娘をみつけて、そばによってきた母親が

「喜代美・・ここにおる人らぁの顔をみてみ。
こんだけの人らぁが正月早々あんたらぁの結婚式にかけつけてくれたんやでぇ。
みなさんに感謝しぃ。そして誇りに思い。こんなにえぇ人らぁに囲まれて。草々さんみたいなええ人と人生の門出を迎えられる。それはあんたが一生懸命生きてきた証なんやで。 おめでとう・・おめでとう、喜代美。」

と、かけたこの言葉になんとなく私も元気づけられてしまいました。

今まで過去の辛い記憶が足かせになって、なんとなく自分の力を発揮しきれずにいましたが、
それでも一日一日を懸命に生きていれば、いつかは自分もそんな温かな日が迎えられるかもしれない・・
そんな風に思いました。

そのあとNHKのニュースが始まり、富士山から上る初日の出の映像をみました。
それから別のチャンネルで旅番組をやっていてボラボラ島の美しい海の景色に心が癒され、
ようやく新しい年を迎えられたなという実感がわきました。

ゆったりとした時の流れ、いやなこと、難しいことは何も考えなくて良い・・
今の私が一番ほしいものがそこにありました。

これから私が大切にしていきたいことは「解放」です。
英語の辞書を引くと、そこには「SET FREE」と書いてありました。
これらは今、自分の心の軸となっている言葉です。

過去の苦しい思いからの解放。失敗への恐怖心からの解放。忙しさやストレスからの解放。
そして未来に向かって自由に創造し、自分自身を大空へ解き放つ・・そんな意味が込められています。

「ちりとてちん」が好きになった理由のひとつに塗り箸職人であった亡き祖父のセリフがあります。
若狭塗り箸の模様となっている貝殻や木の葉などで、これらを砕いたものをちりばめて、塗り重ね、
研いでいくのだという作り方を子供の頃の喜代美に説明する場面で、

「研いで出てくるのは、塗り重ねたもんだけや。
一生懸命生きてさえおったら、悩んだことも、落ち込んだことも、
綺麗な模様になってでてくる。」

この言葉を最初に聞いたときは涙がでそうでした。

両親の反対を押し切って実家を飛び出すときの喜代美が
「私、研いでも、研いでも、後悔ばっかりでてくるお箸になりたくない」といった言葉も
今の自分の気持ちと重なる部分がありました。

いろんな占いをみていても、私は去年までが困難で、今年から運勢が開けてくるのだそうです。
世界の言葉への興味や、留学生たちと過ごす時間を大切にしていたあの頃の自分を思い出して、
一日一日自分の力を伸ばしていけたらいいなと思います。

あ、そうそう今朝はこんな夢をみました。

農園で農場のおじさんと葡萄を食べている夢でした。それは甘くて味が深くてとてもおいしいものでした。
私はその味の感想を一生懸命、英語で説明していました。

果物の夢は「努力が実る」いう意味があるそうです。
甘いものを食べるのは「運気が上向いていて、幸運が訪れる」という暗示です。

風邪が治ると同時に、ようやく私の2008年は5日遅れで幕を明けたようです。

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沙り
年齢:
38
HP:
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
セレクトショップスタッフ
趣味:
ジョギング・写真      伝統芸能・祭・旅
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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