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毎日がとても忙しく、気がつくと仕事に飲み込まれて、
一つ一つのいとしい瞬間が、少しずつ色褪せていってしまいます。
思うように仕事が進まず、自分を見失うこともしばしば。
そんな時、ふっとまた向こう側からさしてくる光を感じるのは、やはり言葉のおもしろさに触れた時なのです。
先日、『Piacere!』という記事で紹介したイタリアの男の子から、学校に提出する日本語作文の添削を頼まれました。
「もし私が・・たら」という表現を使って5行ぐらいの短い作文を書くという課題です。
そこには「~ですから・・」という言葉を使って締めくくるという縛りもありました。
彼は日本史が好きなので、もしも自分が日本に住むことができたら、京都や奈良などの古い町を巡りたいと書いていました。他にも宇多田ヒカルや椎名林檎が好きなので、もしも日本にいたら気軽にコンサートにいけると、かわいらしい夢を書いていました。
以前、一緒に彼と築地見物をしたあと、互いの趣味の話になり、銀座から八重洲までの道を歩く途中ずっと嬉しそうに、その二人の歌手がどれだけ素晴らしいかを力説していました。^^
その情熱たるや日本人の私を完全に凌ぐもので、次から次へと色々な曲名が飛び出し、この節回しがいいとか、かなりのコアなファンでした。椎名林檎独特の巻き舌も、
「頬をさす 朝の山手通りりぃぃ 煙草の空き箱を捨てるるぅ」
と、見事に歌いこなしていたので、そこはさすがイタリア人だなぁと感心させられました。
その日の午後、彼は秋のテストに向けて、リビングのテーブルに紙を広げて自分の知ってる漢字を思いつくままに書き出していましたが、そこには「歌舞伎町」とか「罪」、「罰」といった林檎の黒い影がちらほら見えておもしろかったです。
そんなニッポン大好き青年の彼なので、課題の解説もすべて中級の日本語で書くことにしました。
課題は全部で3問構成になっていて、先ほどの問題の他にもう2問ありました。
2問目は自分で好きなテーマを決めて「必要か不必要か?」という意見を書く問題でした。
彼が選んだテーマは「ファストフードは必要か?不必要か?」でした。
「私はファストフードは不必要だと思います。なぜなら、ある調査によって・・ですから」
という文体になっていたので、
「ある調査によって」という出だしで始まった場合は、調査の結果どんな事実が浮かび上がったのか、具体的な数字や根拠を書いた後に、結論をもってくると全体的に引き締まるよとアドバイスしました。
あとは具体例としてフライドポテトなどのメニューを入れた上で、高カロリーで「しかも」脂っこいという説明を入れると、実のある文章になるということも説明しました。
最後の問題がおもしろくて、「○○に一言」という、身の回りの人へのメッセージを書く問題だったのですが、
簡単にいうと、「高校時代の親友と10年ぶりの再会だったのに、彼は遅刻をしてきた。寒い日なのに、1時間待たされて迷惑した。だから彼には遅刻グセを直してほしい」というものでした。
私はまず「寒い中」「暑い中」「雪がちらつく中」といったように、気候には「中」という言葉を入れることで、情景として表現できるという説明をしました。そして、今後の為に「お忙しい中」「お足元の悪い中」といったビジネスでよく使う表現も一緒に教えてあげました。
さらには、「彼がどれだけ遅刻の常習犯なのか、当時のエピソードも少し織り交ぜたり、どんな様子でやってきたかなどちょっとしたセリフを入れると、読む人も彼のキャラクターを想像しやすくなるから、こんなに迷惑しているんだということがもっと伝わるよ」と、顔も知らないそのお友達にはちょっぴり申し訳ないアドバイスをしちゃいました。(^^)
他にも、こごえながらじっと時計をにらんでいる様子や、「1時間」 と 「待っていた」の間に 「も」 を入れると、もっと強調できるとか、最後のはもう文法のチェックだけでなく、いかに先生を笑わせるかみたいな部分にも情熱を注いでしまいました。
一つ一つの文章はそれぞれ短く、比較的とりかかりやすいものでした。それだけに、より良い文章を書くための注意点と工夫について深く考えることができたので、私もとても楽しかったです。
机で彼の文章を読んで、先生が笑ったり、感心したりしている様子が浮かんできました。
(以前、中国の大学生に「日本の裁判員制度についてどのように考えるか」のアンケート文の作成を頼まれた時は自分も知らない事だらけだったので、かなり大変でした

外国の人がよく間違える使い方として、以下のような例があります。
「~ができるだと思います」
「~をするが好きです」
こういった一文字を入れるか入れないかを見分けるのは、慣れていないとやはり難しいようです。
ちなみに「だ」を使って「思います」という文章を作る時は、
「できそうだ」「かわいそうだ」「いい国だ」といったように、
「だ」の前が形容表現や名詞になったりする場合かなと思い、そのように解説しました。
(※でも、まちがって形容詞を入れちゃうと、「ソレ、チョト大きいダと思うヨ」ってな感じになっちゃうのでダメです。笑)
「形容表現」と書いた部分については、本当のことをいうと品詞をうまく特定できなかったのですが、
今、詳しく調べてみたら、「できそうだ」の「そう」は助動詞だそうです。
なるほど、たしかに「できる」+「そうだ」で動詞を補助してますね。
一方、「かわいそうだ」の「そう」は形容動詞でした。これは、元は「かわいい」+「そうだ」なのですが、口語では一語の形容動詞と見なされているそうです。
こうやって品詞分解をしていると、数学者が数字にとりつかれる感覚が少しわかるような気がします。
そして、よくある間違い2つ目の「~するが好きです」については、「~する」のあとに、「の」を入れることによって「~する事」と同じ役割をもつ言葉に変えると、使うことができますと説明しました。
日本語には、こういった曖昧で似たような違いについて、一つ一つ解説が必要であるということを考えると、
フランス語を勉強していた時に、あんなに嫌だった男性名詞・女性名詞なんて覚えるだけでいいんだなと、
思い直しました。
当時は「なぜ物の名前をわざわざ男性用・女性用に分けなくてはならないのか」と、その名詞リストの長さに苛立ちと絶望感を覚えたほどでしたが、こちらも今改めて調べてみたら、古代のインド・ヨーロッパ語族にまで話は遡ります。
今でこそ、蘭、仏、伊と多くの言葉に分かれていますが、元々は一つの言語から派生したもので、その頃、物の名前は「男性」「女性」「中性」という風に性別を分類していたのが始まりだそうです。
それが段々と簡略化され、英語ではほとんど見られなくなりましたが、ドイツ語には今でも三性が使われているのだとか。しかし「おんどり」「めんどり」などは実際の性別が反映されているらしく、どういった基準でそう分類されたのかは、よくわかっていないそうです。
以前テレビで、ジローラモと中田英寿が対談していた時に、まさにそんな話をしていました。
「日本語ニハ、ナゼ男性名詞・女性名詞ナイのか 私、不思議に思いましたデースネ。」
言語学習を進めていくと、そんな「不」の形をした蔦がいくつも絡みあっているのを見つけることが、たびたびあります。
それらを一つ一つ辿っていくと、意外なところから根を伸ばしていたり、おもしろい方向に枝分かれしたりしていることがわかり、その向こう側に人々の関係性や歴史が見えてくるのが、とてもおもしろいところだと思います。
この夏の暑さで私の蔦もすっかり干からびそうになっていましたが、いろんなものに邪魔されながらも、伸びたい方向に伸びてってやろうと思います。
いよいよ隅田川花火大会を明日に控え、今日は束の間の2連休を満喫しております。
昨日は朝起きると、母がなにやら台所で準備をしていました。
サラダかな?
材料はトマト・ベーコン・2種のチーズ・セロリ・そして庭でとれたバジルです。もんじゃ同様、チーズのおこげはやっぱりおいしい

昼間と夜でわけて作ったのですが、やはりキャベツの量を増やしたあとの方がジューシーでとってもおいしかったです。冷蔵庫から出したばかりのあんを練るのは、とっても気持ちよかったな~♪
昔、子供の時に父と一緒に作ったことがありましたが、今ここにいたらきっと父も驚いたことでしょう。父と挑戦した餃子がジューシーに作れなかった経験も今日は活きました!
昼間っからビールだって飲んじゃうよ♪
自分で作るとやっぱりおいしい。
包みに集中している時間も、すごく楽しかったです!
ポイントは小麦粉と水の配分です。
フライパンにまわしかけて3分後、ごま油でパリっとさせるのがコツ!
取り上げるタイミングが難しいですが、勇気をもってやればキレイにはがれます。思い切りも大事ですね!
これがまた絶品!
このコンビネーションはやみつきになります★
まだあんが残っているので、また来週も作りたいなぁ・・・
常連のゲストさんが入れてくれたココナッツ・コーヒーの香りにほぐされながら、いつものように予約入力をしていると、ピンポーンとインターフォン。
中二階のレセプションを出て、玄関へ降りていくと、さわやかなブルーのシャツに真っ黒な髪の毛、面長でスタイリッシュな眼鏡の奥には、長いまつげが印象的なヨーロッパ風の男性ゲストが立っていました。
私が、Are you checking in?と英語で尋ねると、
「あ、はい。予約している者です。あがっても宜しいですか?・・・失礼いたします」
と、とても慎ましやかに、上品な日本語を話されました。
お名前は?-アンドレアです。
予約を確認すると、それはイタリアからのお客さんでした。
「日本語お上手ですね。日本に住んでいたことがあるんですか?」
「はい、今年の4月から3ヶ月間、京都にホームステイしていました。」
あ~、なるほど。だからこんなに礼儀正しいのか・・と合点しました。
元々、日本の美術や文化に興味があり、3年前に黒沢明監督の『乱』を見たのがきっかけで、日本語を勉強し始めたそうです。
私はこういうコアな日本語学習者に出会うと、すごく特別な出会いだと感じて幸せな気持ちになります。
これからの時間に広がる期待に胸が弾むのを感じながら予約を確認し、お支払いを終えて、
「館内の説明は日本語の方がいいですか?」
と、たずねると、
「あ、はい。そうですね。私が学ぶために、それはとても素晴らしいことだと思います。」
と、深くうなずいたご様子だったので、本屋さんで日本人のお客さんに説明をしていた時のような丁寧な日本語で説明すると、「あ~、よくわかりました。どうもありがとうございます」と、どこまでも低姿勢な受け応えでした。
この一年間、いろいろなお客さんと接してきましたが、彼の日本語能力はその中でも群を抜いていました。
以前にも私より京都弁が上手なドイツの女の子がいましたが、「メッチャ、ウレシイ」といった若者らしい言葉づかいだったので、きちんと敬語と謙譲語をここまで綺麗に使いこなせているゲストは彼が初めてでした。
しばらくすると、シャワーを浴びて着替えた彼が下りてきてキッチンで話していたので、ルーティンワークもそこそこに、さっそく彼の話を聞きに私もレセプションから下りていきました。
イタリアというと、あのブーツの地形が思い浮かびますが、彼の町はそのブーツをはく時に曲げたひざの裏辺りに位置します。
意外なことに彼は将来、日本語とフランス語の通訳者になりたいというので、
「え?イタリア語は?」ときくと、「あー僕のイタリア語はちょっと・・」と、苦笑いをしました。
彼が生まれ育ったのはTrieste(トリエステ)という町で、スロベニアとのちょうど境目にあります。
スロベニアのすぐ南にはクロアチアもあり、北にはオーストリアもありというわけで、
トリエステでは、イタリアと隣接するいろんな国の文化が混ざりあっているそうです。
そのため、いわゆる標準のイタリア語よりも方言が強いので、イタリア語と文法が似ているフランス語の方が綺麗に話せるのだそうです。Skypeで現地の友達と話しているそばを通りかかると、「あー私が今話しているのはトリエステ弁です。」と、はにかみながら笑っていました。
去年の夏、一緒に浴衣を来て花火にいったオランダの女の子も、同じヨーロッパなので、庭先にはもうドイツが見えているといっていました。普段の会話ではオランダ語の時もあれば、ドイツ語の時もあり、英語の時もあり、生まれながらにしていろんな国の言葉が話せる環境にいるわけですね。
島国に住んでいる私達には、ヨーロッパのように様々な国が隣接しているところに住んでいる感覚ってなんだかつかめませんよね。
驚くことに、彼は中国語の学習歴もあるそうです。でも、発音が難しすぎて、漢字ばっかりならんでいて、
「んーチョット、キモチがワルクナリマシタ・・」と苦笑いしていました。
でも彼と同じ大学のアンナさんという恋人は同じトリエステの出身ですが、彼女の方はなんと中国語が堪能で、既に北京で彼が来るのを待っているんだとか!
素晴らしいですね。語学好きの私にとっては、夢のようなカップルです。
さて、そんな22歳の好青年アンドレアさんの目に、初めてのTokioはどんな風に映るのでしょうか・・・?
楽しみな4日間になりそうです!
今日まで知らなかったのですが、私は扁桃腺が一般の成人に比べて大きいそうです。
ふつう、扁桃腺は細菌から喉を守るため、子供の頃は大きいのですが、年と共に抵抗力がついて必要がなくなるので退化して小さくなるのだそうです。
でも私の場合は粘膜が元々弱いこともあり、疲労で抵抗力がなくなってしまうと、そこに細菌が入り込んで炎症を起こしてしまうのだそうです。それが高熱を引き起こしていた原因でした。
今日は、まず鼻から薬を吸引する処置をしてもらい、そのあと5つの薬を処方してもらいました。
フロモックスと、ロキソニンってきいたことありますか?
以前、親知らずを抜いた時にもこの2つは処方されました。前者が感染症を抑える薬、後者が激痛を止める強い薬です。
そして今回初めてムコダインという粘膜修復作用のある薬を飲むことになりました。
あとは抗生物質で胃を傷めないようにするためのムコスタという錠剤と、アズノールうがい液です
うがい薬って、茶色くて苦いってイメージがありますよね?
でも、私がもらったのは藤色のきれいな薬で、しかも嫌な味が全然しないんです。
よかった・・紅茶でうがいするのも、ちょっと苦手だったもんで。
これなら続けられそうです。しばらく、これで喉の洗浄に気を配りたいと思います。
しかし、喉の一部が腫れただけで、あんなに熱が出たり、声が出なくなったり、人間の体って不思議なことがいっぱいですよね。
本当にここ一、二年で、それまで二十数年間いったこともないような、色々な病院にいく機会が急に増えて、自分の体の急激な変化に驚いてます。
でもそのおかげで、二十何年も大した努力もせず、ふつうに生きていられた事自体が、物凄い奇跡だったんだと思い知らされました。
食事の栄養にいつも気を遣ってくれている母の存在はそれほどまでに大きかったということなんだなぁ・・
今日は一日の仕事を無事に終えて地元の駅に降り立ち、改札に向かう階段を上っていく途中で、
(人類が誕生して、言葉や道具が何もなかった時代から、古代、近代、現代と大きな時間の流れのなかで少しずつ色んな発見をして、ここまで沢山の人間の体の不思議が解明されていったのは本当にすごいことだなぁ・・)
と、ふと思ったりしました。
やがて家に帰りつき、玄関のドアを開けてくれた母が今度は咳き込んでいました。
これはワンルームの宿命といいましょうか・・必ずどっちかがひくとすぐにうつってしまうんですよね。
それでも一日も仕事を休むわけにはいかず、母も今日は家で明日の仕事の準備を進めていたら、
昼間、築地に本店をかまえるおいしいお豆腐屋さんの引き売りの音が聴こえてきたので、
急いでリアカーが止まっている橋のふもとへ向かい、私が今一番気に入っているそこの特製の豆乳と、
ところてん、そしてざる豆腐をわざわざ買っておいてくれました。
「こちらのざる豆腐は一口目はそのまま、二口目からはお塩をかけてお召し上がりください。」
ということで、うちでは岩塩をかけていただいてみると、もめんと絹のいいとこどりをしたような
ほどよい口当たりで、なめらかなのに食べごたえがありました。さわやかな豆の香りと冷たいのどごしが
今日の二人には一層おいしく感じられました。
母も「値段も見ずに買っちゃってあとでびっくりしたけど、今日はいいよね」と笑っていました。
そうして夕食を終えると、また辛そうに咳払いをしながら眠ってしまったので、代わりに私が食卓をすべて片づけました。
そうして今、この真夜中にパソコンに向かっている・・というところです。
今朝、私の勤めるゲストハウスに以前泊まってくれたタイのお客さんと、今朝たまたまfacebookで居合わせ、めずらしくチャットで話しかけてきてくれました。
「最近どうしてる?」と、お互いにちょうど同じタイミングで質問したので、
今の体調の事を答えようとしていたら、先に彼の方から
「sad.. my city is still burning.」
と、とても悲しそうに呟いていました。
以前、今問題となっているタイの抗争のニュースを家で見ていた時に、私が
「日本の政権もいつも危ぶまれているけれど、だからといってこういう激しい暴動が起きたりしないよね?
世界ではいろんなところでデモが起きたりしているのに、日本人はどうしてじっと我慢してるんだろう。」
と、改めて母に問いかけた事がありました。
「日本は戦争に負けたことで、こういう争いを起こしても何も実を結ばない事を、ちゃんと教訓として得ているからだよ。」
という答えが返ってきたのを思い出しました。
すると今日、そのタイの青年は
You have descipline to respect each other, right?
私にそう問いかけました。
彼は、同胞たちがいかに無益な争いをしているかを知ってほしいと思っているようで、
日本からそういう心を学んでほしいと語っていました。
私はうなずきながら、今タイのホステルで働いている元同僚の話をしました。
今のゲストハウスでまだ研修中だった頃、私の一ヶ月あとにやってきた女の子がいました。
その子は、昔別のホテルで働いていた経験もあり、飲み込みも早く、英語も上手で、おちゃめでとても愛嬌があり、仕事仲間からもゲストからもとても人気のあるスタッフでした。
以前その子がタイに行った際に、バンコクにとてもいいホステルがあり、とても気に入っていたのだそうで、そこのスタッフとも仲が良かったそうです。
そして一緒に働き始めてから、半年ほど経とうとしていたある日、そこのホステルのスタッフから「うちで働いてみないか」というお誘いがあり、いろいろ悩んだ末、行くことにしたと彼女から告げられました。
年も近く、気さくで一番わかり合える子だったので寂しかったのですが、私も彼女には色々な世界をみてほしいなという気持ちがあり、彼女の決断を応援することにしました。
そうして、ついに今年の2月、彼女は日本を発ったのです。
しばらくは現地の楽しそうな写真がfacebookにいっぱいUPされていましたが、
先月、突然「眠れないよ」という書き込みがあったので、どうしたのかと思っていたら、
ニュースであちらが大変なことになっているのを知り、毎日事態が深刻化していくのを聞くたびに心配になっていました。
幸い、現地に友人が何名かいるようで、「今はその人たちと安全な地域に滞在しているから大丈夫だよ」
という返事がありましたが、私も彼女を訪れる機会はしばらく見送ることにしました。
タイの青年も「今はそれが賢明だよ」と言いました。
「地元の人はどこが安全か危険かは把握しているから、その子はきっと大丈夫。
でも、これから初めて訪れるなら、次の機会にした方がいいよ。その時は連絡してね!」
と言ってくれました。
出会った時は、とても精悍な笑顔だった彼の悲しみを受け止めながら、
「私には祈る事しかできないけれど、少しずつ状況が良くなることを毎日ずっと願ってる」
と、彼に伝えました。
会話の最後に彼が「Keep in touch..」と、呟いたその文字から、切なさが伝わってきました。
こういうことを目の当たりにすると、なんだか健康なのに将来の為にもっと努力しようとしていなかった
自分はものすごくもったいない生き方をしていたなと反省しました。
鍵の管理や、荷物の管理、お金の管理とこれらだけでも気を遣うのですが、予約入力もまちがえてはいけないし、部屋や館内の整備、旅の案内や、トラブルの解決などなど、一日の中でやることはてんこ盛りで、
閉店まで問題なく業務を終了するだけで本当にいつも精一杯で、休みの日はいつも気力も体力も使い果たしたような気になっていました。
お客さんともっと楽しく交流するためにも、もっと色々な国の言語を習得したいし、もっと勉強にも打ち込みたいけれど、いつの間にか忙しさに飲み込まれて続けられなくなっている自分が嫌でした。
学生の頃みたいに一つの事に熱中したいって気持ちと、今週これだけがんばったんだから今日は自分を甘やかしたいという相反する気持ちがいつも私の中にあって、休日を有意義に過ごせないことも多く、リラックスしすぎていることになにか罪悪感をおぼえて居心地が悪いような思いがしていました。
以前、この日記で紹介した「K」という、目標とすべき人が職場にはいて、その人のようになりたいと思う反面、私には到底無理だなと、ついコツコツ努力を積み重ねることから逃げてしまっていました。
でも、考えてみれば生まれた環境も、もっている感性も、与えられている立場も何もかもまったく違うのだから
比較していることがそもそもナンセンスだし、「続けることが大変だから」というのは、何もやらない理由にしてはいけないと思いました。
38.1℃の熱が出たことは、社会人になってからは初めてで、「こんな状態でも本当に私は仕事に行くべきなのだろうか・・・」という思いはちらりとありましたが、「今日はチェックイン・アウトが多いし、掃除の人手だって足りないんだから今自分が休んだらダメだ」という思いと、「どんなに自分の体調が悪くても、はるばる外国から来る人のために何か不備があってはならない」という思い、そして「声はかすれているけれどもなんとか笑顔で・・」という思いで、どうにかこの二日間どうにか乗り切りました。
お医者さんによれば、扁桃腺が炎症を起こした場合、一旦は熱が下がったと思えても、またじわじわと上がっていってしまうのが特徴でこれをスパイフィーバーというそうです。
たしかに今も熱がありますが、こんな思いをしなければ、日頃の運動や食事がどれだけこれからの自分にとって重要か、そして母がいかに大変な思いをしていたか実感できなかったと思うし、健康だった時よりもむしろ
今の方がファイトが沸いてくる気さえします。
この一年の仕事のなかで出会った人との会話、そして目標としている人が使っていた上手な英語表現、それから自分の今のことを伝えるのに調べた言葉・・片っ端から電子辞書に登録しておきました。
最近はそれらを振り返ることすらしていなかったけど、もう一度ちゃんと見ることから始めたいと思います。
あとは少し体と栄養のメカニズムを知って、今後に備えよう。
今のままじゃ、本当に将来心配です。
健全な体がなければ、私の助けを必要としている外国の人たちに何も伝えることができなくなってしまうから。
ただ休むだけでなく、今の自分を知って、必要な手当てをしていくこと。
明日、お客さんと話す時に伝えたくなるような「今」を生きてみようと思いました。
今夜、突然声が出なくなりました。
風邪の悪化だとは思うのですが、それにしても痛すぎる。
昼間はちゃんと食べられたのに、家に帰ってきて母の作ってくれた野菜スープを一口飲んだ瞬間に、ビリリ!っと両耳まで突き抜けるような痛みが走り、五口目でついにスプーンを置きました。
アイスなら大丈夫だろうと口に運んでみましたが、どんなものでも喉に流れてくるだけで痛い。飲み込むことがとても辛い。空気を吸い込むだけでも痛い。
仕事中はなんとか持ちこたえたのに、帰ってきた途端にこんな状態になってしまって・・
今朝、体温計ったらなんと38.1℃もあったんです!ここまで上がったのは小学生の時のインフルエンザ以来じゃないかな。
だけど、こんな状態でも早番1人、遅番1人の体制だから「今日休みます」なんて絶対言えなくて、手すりにつかまりながら根性で駅の階段を降り、いつもの地下鉄に乗り込みましたが・・・
チェックインの案内をしててもむせちゃうし、お客さんに「ダイジョウブデスカ?」って言われちゃうし・・
ちなみに、フランスから来たあるお客さんは割とあからさまに聞き取りづらそうにしてて、予約の詳細見せて料金の説明をしても、あまり最初は信用できないような顔してたけど、オーストラリアから来たあるお客さんは、何も言わなくても、私が別のお客さんの対応をしている間もちゃんと待っててくれて、嫌な顔一つせず心配してくれました。(笑)
情けない事に、今
きれいなオフィスなんかと違ってそこまで行き届いた暖房があるわけじゃないし、毎日が掃除の連続なので、知らない間に雑菌を吸い込んでしまうというのもありますしね。
あとはここ数年の異常気象による気温の乱高下も影響してますね。
体温調節がうまくできていない気がします。あとは免疫力の低下かな・・
25歳を過ぎた辺りから、自分の体のいろんなところがちょっとずつ変わってきていると少しずつ自覚し始めたところでしたが、大きな問題が起きないとなかなかそういったことの重要性に気づけなくて、日頃の怠惰を最も深く反省したのが、今日でした。
もっと自分のコンディションを客観的に見なければいけないんですね。
必要な栄養の摂取と運動、それから医学的な情報の収集も大切。
それらをもっと積極的に行って、自分自身をもっと真剣にケアしていかなければならないと思いました。
自分が風邪を引くと、お客さんにも一気にうつってしまう可能性があるし、職場の人にも迷惑をかけしまう。熱が出れば、苦手な計算はもっと危うくなるし、管理が必要なこともうっかり見落とす可能性だってある。
「たかが風邪」ではないし、私一人の問題じゃないんだと、改めて思い知らされました。
今朝起きた時はフラフラで、帰ったらすぐにでも寝込んでしまえそうだったけど、一日の仕事をなんとか無事に終えたあと、この痛みを忘れないために今夜のうちに、ここに綴っておこうと思いました。
明日は仕事へ行く前に耳鼻咽喉科によっていきます。
そして、あさっての休日はもっと健康的に過ごそう。
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
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母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声
我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています
交換留学先の
オーストラリア
高校演劇の稽古場と
体育館の舞台
留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア
母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校
身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル
20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場
大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス
そして
旅人達のターミナル・・
気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました
日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です