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K

今朝早く仕事場へ向かうとき、もうすっかり息が真っ白になっていることに気がつきました。

浅草の小さなゲストハウスでの一期一会・・
書き残したい事は山ほどあるのに、活字に起こすだけの力も残らないほどの忙しい毎日。

でも、幾度となく、このスクリーンのむこうがわのみなさんに一つ一つの瞬間を心の中で綴っていました。

驚き・感動・笑い・寂しさ・怒り・感謝・・多種多様の国々の人たちと豊かな時間を過ごしてきました。それは「充実」という言葉ではまだ足りないような、それまでの自分の世界を大きく広げてくれた日々でした。

橋を渡ってから徒歩で10分ほどの支店での研修期間が終わり、8月から浅草本店で働いています。・・なんてというとなんだか老舗旅館みたいで聞こえはいいですが、元々どこかの社員寮だった小さな建物を借りて改築し、少しずつ今の形にしていった場所。背の高い外国人のゲストさんにはとても小さく感じてしまうようです。

ですから部屋の掃除はもちろんのこと、シャワーやドアや壁の色、電気系統など、すべて自分たちの手で改修し、管理しています。

施設管理から受付、予約入力・・と、ここでの仕事は幅広く、日々改善点を見つけながら素早く手を打って、次の問題をまた見つけていくという毎日。その分、進化も楽しめますが、一人しかいない時間帯にたくさんお客さんが来ちゃうと大変です。

今日はここを念入りに掃除できる!と、作業していたらピンポーンと鳴ってチェックイン業務に移り、金銭授受のあとは荷物運びを手伝って、館内を説明してまた掃除・・そんなハードな日もたまにあったりします。

そんな古くて小さなホステルを、少しずつコツコツとお客さんたちが過ごしやすいように、たくさん動き回ってくれているのが、にこの秋、26歳になった若きマネージャーKくんです。

昨日も、黙々と古くなった床をはがし、一日がかりで張り替え作業をしてくれました。

IMG_0516.JPG若いのにいろんなことを良く知っていて、頭の回転もよく、自分で貯蓄の仕方を研究して計画的にオーストラリア留学を果たしたという、行動派の好青年です。

社内でも特に英語が上手で、留学前に受けたテストが下から2番目だったなんて、
とても信じられないぐらいの努力家でもあります。

道案内ひとつとってもわかりやすく、メールの文章も丁寧で、組み立てがすごくよくできているなと思った文章はプリントアウトしてお手本にさせてもらっています。

とっても真面目な性格で、仕事では一切妥協しない彼です。
スタッフに対しても冗談をいう事はほとんどなく、若いのに冷静沈着です。

しかし、そんなクールな彼ですが、あるドイツ人のお客さんには「王子様」と呼ばれるぐらい、
紳士的なサポートができる人。そしてネイティブとはなんら変わらず自由に会話を楽しんでいるようです。
彼が英語の表現に詰まっているのを私はみたことがありません。なので、厳しい事があっても彼のようになる為に私も頑張るんだと思える存在です。

彼はどんなに熱い真夏でも、決してTシャツなんか着ません。
さわやかな白のYシャツに、黒のジーンズ。いつもモノトーンでまとめています。
色を入れるとしても濃紺や青のストライプといったところでしょうか。

なので、そんな彼の雰囲気に合わせて、私もワンポイントカラーで撮ってみました^^

こういう張替え作業は初めてだいうのに、センスも手際も良く、隣でパソコンを打ちながら関心していました。シャイな性格なので、絶対にカメラの方には向こうとしない彼ですが、私がとった写真をみて隣のアメリカ人の女の子が盛り上がっていると、ちらっと画面を確認して、軽く「はっ」と笑ったあと、また黙々と作業に戻るところがなんだか微笑ましかったです。

真面目で抜け目のない性格の彼から、自分のできていない事を指摘される日々は辛く、緊張してまたミスして迷惑かけて落ち込んだことも何度かありました。

そんな時、もう一人一緒に働いている主婦のちぃさんが、私のことを気にかけてくれて、「だいじょうぶ!」と、大きく一言で言い切ったあと、「ここ乗り越えればどんどんスピードも出てくるし、一人でもこなせるようになるから!」と、何度も自信をつけて下さいました。

その後、現場などで自分が苦手な作業をほかの2人はどうやってこなしていっているのかを見たり、聞いたりしているうちに、今まで不得意だったことにも少しずつ慣れてきました。

ある時、雷門よりももう少し先のところにある居酒屋さんで、鍋を囲んでミーティングをした時に、

「もっとゆっくりやっても大丈夫だよ、お客さんはちゃんと待っててくれるから」

「たしかにルーティーンも大事だけど、やっぱりせっかくここで働いているんだからお客さんとの交流も大事にしたいよね」

と、お二人が私の不安をとりのぞき、本当にここへ来た目的をふたたび思い出させて下さったおかげで、その後はするすると、きつかった縄がほどけていくように、うまく一人でも回せるようになっていきました。

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すっかり秋を通り越して、冬の足音が聞こえてきましたね。
この頃はずいぶんと冷え込んでいますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
私の方は相変わらず忙しい日々を送っております。

6月末に入社して、早くも5ヶ月が経とうとしています。
始めの約1ヶ月は浅草から少し離れたところでトレーニングの日々でした。
130ものベッドが完備されているその支店では、沢山の印象的な出会いがありました。

IMG_0041.JPG広いリビングのある支店では、お昼などの空きの時間や、掃除後の部屋をチェックする時間に、色んな国の人と話すチャンスがありました。掃除を手伝ってくれるヘルプスタッフの人も多種多様で、オーストラリアに、フランス、果てはエストニアなどこれまで馴染みのなかった国の人とも、交流を深めることができました。




IMG_0044.JPGこれはポエムを書くのが好きなフランス人のヘルプスタッフさんが、アメリカから来たゲストから、ムエタイに似た格闘技の型の手ほどきを受けているところです。

武道好きだけあって、なんだか格好も様になってますね^^

ちなみに奥のアメリカ人とはこの前キッチンで初めて話をしました。
なんだか慣れた手つきで、ゆであがった日本蕎麦をざるにあけて、
さっと水で冷ましていました。



たいしたもんだな・・と、感心するやいなや、上の戸棚からブルドッグソースの大瓶を手に取ったかと思ったら、 どんぶりに盛りつけた蕎麦の上からどぶどぶと、かけ始めたのです!!

「・・・・え~~っ?なんで?・・・めんつゆは?・・だって私達はふだんこういう風には食べないよ?」

と、慌てて声をかけると、

「あ、そうなの?でも、オレいつもこうやって食べてるよ?けっこうおいしいんだぜ。」

と、日本人の意見にはおかまいなしの様子。

その瞬間、"カルチャーショック"という茶色いどろっとしたマグマが彼の手から、茹でたてのそばの山を流れ落ちていくようでした。そんな不気味な食べ物を、ソファーでテレビを見ながら平然と食べている彼の横顔を見ていた私の目は、きっと三角だったと思います。

その夜、家に帰ってから母にそんな出来事を話すと、「おもしろいじゃない」と、
早速コンビニで買ってきた蕎麦にソースをつけて食べ始めました。

でも、やっぱり見た目がどうもしっくりこない・・

(え~なにコレ~)と思いながら、恐る恐る私も口にしてみると、意外や意外!
けっこうイケるではありませんか!

「なんだろう・・この味。なんか知ってる。あ!わかった!屋台のやきそばだ!」

「そうだね。似てるね。いいじゃない。母さん気に入った。」

「あ~・・・(モグモグ)なるほどねぇ。・・まぁ、ありっちゃ、ありだね・・」

と、二人で頷きましたが、やはり途中でめんつゆに帰りたくなる心情は、やはり同じ日本人でした。

私はこの日、昔の日本人が欧米人を「ソース顔」と表現した、その言葉のルーツを初めてみた気がしました。

おとといは結果3軒もはしごをしてしまい、うつらうつらしながら、みんなとバイバイしました。

酔っていても帰りの方向だけはまちがうまいと、カっと目を見開いて、両国方面であることを確かめて電車に乗り、しばし目を瞑りました。

そして目を開けると、なんとまさかの国立競技場!(笑)地元駅はとうに過ぎておりました。

戦闘不能な自分との競技は、折り返しの電車の中で繰り広げられ、見事打ち勝って地元駅到着!

本来ならばわずか10分の距離を1時間かけた末、0:30過ぎにようやく帰宅。夜中の3時半に目が覚めてしまい、寝るに寝られない状態に・・そこで、先日もってきておいた『東京メトロ』の行事案内に手を伸ばしました。

「入谷の朝顔市、今日から5、6、7開催だって」

「あぁ・・朝顔市ねぇ。母さん、毎年行きたいと思ってるけど、毎年仕事で行けないまま10年経ってしまったな。」

「ふ~ん、そっか・・よし、じゃあ今日行こうよ!」

「え?!マジ?お前大丈夫なの?」

「大丈夫。行こう!」

その時点でまだ頭は重く、アルコールは抜けきってはいませんでしたが、東京の夏をもっと知りたい私の気持ちは本物でした。

ということで、朝顔の色にあわせ、水色や薄紫でコーディネートした私達は気合の7時台出発!

生憎、ラッシュアワーとぶつかってしまいましたが、頭痛もふっとばして、とにかく目的地まで行きました。降り立ったのは日比谷線、入谷駅。そばにはまだ支度中の屋台が並び、横断歩道をこえた向こう側の通りに簾天井が連なっているのが見えました。

ff9dec3e.jpeg朝も早いというのに、通りは沢山のお客さんたちで賑わい、見学にきた小学生たちまでいました。

「お姉さん、どう?お好きな色あったら選びますよ!」

「アレ、お二人そっくりだね!きょうだい?いや~よく似てる。」

「どうぞ~いらっしゃ~い!今着てる服とおんなじ色のありますよ!」



518.JPG517.JPG5192.jpgと、通る店一軒一軒から威勢のいい声が飛び交い、これぞ東京の夏と感じさせるいい雰囲気でした。

なかには白い縁取りや、青と白のまだら模様になった「しぼり」と呼ばれる種類のものもありました。

また、青系の花が一般的かと思いきや「団十郎」という、渋い灰紅をした絞りの花びらもあり、まさに江戸てぬぐいさながらの見事な色合いでした。


私達二人はあっちの店をいったり、こっちの店をきたりしながら、最も好みに合う色をじっくり吟味していました。

本当は水色の絞りが一番気に入っていたのですが、なかなか全体のバランスや花の状態が微妙に求めている感じと違ったりしていて、結局鮮やかな水色を選ぶことにしました。

鉢植えだけでなく、壁からかけられるのも売られていて贈り物に重宝しそうでした。

たくさんの配送業者さんたちが店の前で待機したり、両手で二鉢もって次々往来していく姿も見えました。

別の通りでは、運搬用のカートに乗せられて入荷してきた鉢を受け取って、元あった鉢を動かしながら一つ一つ新しい鉢を置いていく様子に、忙しかった本屋の朝を思い出しました。
平台に本を置くときは、こんな感じだったよと母に話すと、おもしろそうに聞いていました。

すごいコンディションだった上に、混雑した中を行ったり来たりしていたので、おなかも空いたし体も疲れていましたが、いい鉢がみつかって大満足でした。自分の勉強のため、体ともうまく折り合いをつけて決行し、母の長年の望みも叶えることができた自分の根は少し太くなった気がしました。


eb119e0e.jpeg
【入谷朝顔まつり】公式サイト
http://www.kimcom.jp/asagao/rekisi.php

このお祭りのスポンサーは「金鳥の夏、日本の夏」でおなじみのKINCHOです☆
朝顔や入谷鬼子母神についてのおもしろい歴史は、読んで得した気分になりました☆

入って5日目のこと。

4Fのテーブルでお昼ご飯を食べていたら、個室からアジア人男性が一人でてきました。

お客さんの大半は欧米人なので、同じアジア人の顔をした私の姿が珍しかったようで、少しずつ話しかけてくれました。

Are you a Japanese?

-Yes, I'm a working staff here.Nice to meet you. Where are you from?


I'm from Maleysia.I came here with my wife and son.

-Oh, really? That's good. Are you enjoyed staying in Japan?


Yes, Japan is very nice place. Streets are very clean, and places are good.

-Do you like Japanese foods?


Yes, it's very nice. There are so many food places here.

-Yeah, I'm glad to hear that. I acctually haven't  ever been to Maleysia.Could you tell me something about your country? like, foods, atomosphere, weather and so on.


In Maley, oceans are very beautiful, and we have many delicious fruits like Mango, and ...

-Oh, yeah! Tropical fruits!


Yes, tropical.  ..Yeah, everything is nice in Maley. Also you can see Japanese cars, televisons, yeah, many many things from Japan.

-I see. yeah. Acctually, Japanese technologies are very high grade.  I think, in old time in Japan, Edo period, there were many craftsmen like making chopsticks, lanterns,candles.. Many people lived with making their own manufactures.I think, they were very good at looking small things carefully.
 
So maybe, the sprits of manufacturing is from them, and the technologies have been developed with taking long times.

(たしかに日本の技術はとても高いですよね。昔の日本・・江戸時代には箸職人や、提灯職人、ろうそく職人、沢山の職人がいました。多くの人が自分の工芸品を作って生計を立てていました。恐らく、彼らは繊細で緻密な作業をすることに長けていたんだと思います。

だからきっと、ものづくりの精神というのは、そういった職人たちの時代からきていて、そういったことが長い時間をかけて高い技術に発展していったんじゃないかなと思います。)

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今改めて考えてみると、今日私達の生活を便利にしているあらゆる道具の素材は、日本だけでなくいろんな国の環境の中からとれたものが元になっているし、それらを作る技術も双方の国で磨き合ってきたはずだと思います。

私はこれまで文化的な交流をテーマにいろんな国の人と関わってきましたが、この時のMany many things from Japanという彼の言葉をきいて初めて、そういったテーマ以外での世界と日本のつながりというものを、身近にはっきり実感できた気がしました。

そして会話はまだつづきます。


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-Do you have any plan to go for today?

Yeah, we go to Sensouji.

-Oh, that's good. I like the place! I have been there several times.Do you know the smoke in front of the temple?

No. What's the smoke?

-In front of the temple, you can see people gets smoke and touch for the parts of their bodies.

What does the smoke mean?

-It's for purify. For example, before taking some examinations, people get smoke on their head.

Ooh, I see. So they are praying.

Yeah, they have own wishes, and purify the concering parts.Why don't you try?

Yes, yes. Thank you. Good information.

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自分の好きな浅草について、その人が興味をもちそうなことを説明できたのが、とてもうれしかったです。


すると翌日、今度はその男性の奥さんが薬局はどこかと尋ねてきました。

マレー訛りの英語は、ところどころ「ん?」と思うような部分もあったのですが、とにかくこの人の助けになりたいと思い、きちんと聞き取れるよう努力しました。

掃除チェックの途中だったので、終わっていったんレセプションに戻ってから地図をもってきますと伝えました。

そして休憩の時間に入り、少し遅くなりましたが地図をもってその女性の待つ4Fへ向かうと、笑顔で待っていてくれました。

よくよく聞いてみると、マレーシアでよく使われている種類のお米を探しているようでした。

さすがにそういった場所は近くにないので、まだこの周辺のことを把握しきれていないものの、考えうる手段を指し示し、できるだけ相手の希望に添うよう答えてから、休憩のためのお茶を買いにいくため席を立ちました。

すると、その女性は

「Thank you, you are very helpful.Thank you.」

と、何度もお礼をいい、私の名前を尋ねてくださいました。

私が、「サリ」と答えると、Oh, Sari... Sari..と頷きながら、

「あらぁ、いい名前ね。インドの女性の民族衣装もサリーというの、知ってる?」

と、にこにこ笑いかけてくれたので、よい機会なのでもう少しゆっくりとお話ししてみようと思いました。

その奥さんはとても朗らかなお人柄で、名前をハミダさんというそうです。Hamidahと綴りますが、彼女の発音では「アミダ」と、"A”の方が強く聞こえました。

そして、どうやら息子さんは去年もこのゲストハウスに来てくれたそうで、その強い薦めで今回は親子そろってお越しくださったそうです。Hamidahさんは、日本は初めてだったそうですが、とても便利なところが気に入ってくださったようです。

世界の語学に興味がある私は、マレーシア語で「こんにちは」は、なんていうんですか?と、尋ねてみると

「Selamat pagi.」

と、答えました。

昔、習っていたインドネシア語でも、Selamat sian (セラマツィアン)/ Selama pagi.(セラマパギ) / Selamat malam(セラママラム) と、時間帯によって挨拶が変わり、その単語がまったく一緒だということがわかりました。

そこで

「もしかしてありがとうは、Terima kashi(テリマカシ)ですか?」

と、確認してみると、

「そうそう!そうよ。テリマカシ。あらぁ~・・どうして知ってるの?」と、驚いてきかれたので、

「昔、専門学校で1学期だけ選択でインドネシア語を習っていたので、簡単なフレーズだけなら少し覚えてます。」と、答えると、とてもうれしそうに微笑みかけてくださいました。

Maleysian, Indonesian, almost same.と、彼女は単語を少し比較しながら、大きくうなずくようにしてそう教えてくださいました。

そこで卒業後7年にしてようやく訪れたこの機会に、マレー語(インドネシア語)で自己紹介をしてみることにしました。

Selamat pagi. Nama saya Sari. Dari Jepan, Dari Tokio.
セラマ パギ.  ナマサヤ サリ.  ダリ ジェパン, ダリ トキョ。

本当にこんなごくわずかなのですが、伝えてみたらとても喜んでくださいました。

やはり相手の国の言葉を少しでも知っていると、親近感がわくものなんだなぁと、改めてその大切さを実感しました。

「他に知りたい言葉はある?」と、きかれたので、いつか一人で旅をした時のために、「ごめんなさい」と「さようなら」も訊いておきました。

PAP_0052.JPGちなみに「どういたしまして」は、Samasama.(サマサマ)と言います。

インドネシア語には、1つの単語を2回続けていう言葉が多く、言葉の響きが時々かわいらしく聞こえるのが好きでした。この「サマサマ」も、なんだか日本語の「おかげさま」と、つながるような雰囲気がして、おもしろいなと思ったのをおぼえています。



私は将来の夢を日本語教師と公言していますが、教室の授業よりも、実際に町を一緒に歩きながら、その言葉の背景にあるものを魅力的に伝えていけたら、お互いにもっと楽しめるのではないかと思っています。もし、お客様のなかにもそういう風に、日本に興味をもってくださる方がいたらと思い、個人用の名刺を作っておきました。

その記念すべき1枚目をさしあげたのが、Hamidahさんでした。

そして、持っていたメモ帳を差し出すとHamidahさんは、自分のお名前のほかに、マレーのご自宅の住所などを書いて、「マレーにくる時は、いつでもいってね」と、優しく笑ってくださいました。

とてもうれしかったので、ケータイで一緒に写真をとろうとすると、少し恥ずかしそうにしながらニッコリ。

最後に、Thank you for staying は、マレー語ではどういうのかと尋ねると、とても丁寧に綴りまで教えてくださいました。薄いピンクと黄色の民族衣装に身を包んだHamidaさんの声や、ペンをにぎる手はとても温かく、本当にマレーのおかあさんという感じがしました。

いつチェックアウトなのかを尋ねると、ちょうど私が休みの日に帰国してしまうことがわかりました。


Terima kashi. Cerena tinggal di aslama ini.
テリマカシ クラナ ティンガル ディ アスラマ イニ

覚えたてのその言葉を伝えると、Hamidaさんは本当に嬉しそうに、


Samasama. Terimakashi. Thank you. You are very helpful!

と、ハグしてくださいました。


まだ仕事に慣れない頃、初めて大きな出会いを果たせた喜びを実感できた瞬間でした!

職場のメンバーは皆、フレンドリーで穏やかなものの、常に状況が動いているため丁寧に仕事を教える暇はなく、マニュアルも一切なし。

とにかくやってみろというスタイルなので、第一日目はまず説明の速さと、覚える事や作業の多さ、そしてレセプションでいきなり実践!という形に、とってもびっくりしました。

ルームタイプについても特に詳しく説明されたわけではなかったので、ベッドメイキングを手伝ったり、掃除チェックをしたりしながら、自分でちょっとずつ地図を書いて覚えることにしました。

シフトは1番、1.5番、2番、3番というタイムスケジュールがあります。

1番    8:00~17:00
1.5番  9:00~16:00
2番    12:00~21:00
3番    16:00~0:00

私は1.5で1番の人とペアでレセに入ることがほとんどです。

昨日はその先輩が夕方になって「あ~、ビール飲みたい」と、つぶやいたので5時ピタで上がって自転車でカフェにいこうという話になりました。

その先輩によれば、この「論より実践主義」というのは、うちの会社の伝統なのだそうです。
みんなそうやって育てられたんだなと思うと、私も俄然やる気がでてきました。

本屋時代にマンツーマンで一つ一つ教わることに慣れていた私にとって、そんな第一日目は何も知らないまま英語で接客をし、緊張している中ほとんどの作業が手探りであり、頭の回線がうまくつながらないまま、ハードに動いたのでとにかく疲れ果てました。

帰り道、重たい体で歩きながら、本当にこのペースでやっていけるのか不安になっていましたが、
その不安は行動で消していくしかないということを、本屋での最後の一年で学んだので、とにかく自分を奮い立たせました。

「ここに来たのは必然なんだから大丈夫。とにかく今日習ったことは確実にしよう!基盤が大切。」

と、メモしたことを帰宅してから全部Wordに編集して、自分でマニュアルを作りながら頭を整理し、翌朝までに疑問を残さないようにしていたので、最初の3日間ぐらいは寝る時間もあまり確保できませんでしたが、とにかく気合を入れてぶつかっていくんだと、苦手な朝もバシっとラジオ体操で体を目覚めさせて乗り切りました。

そんな忙しい毎朝に、ほんの数秒間だけ訪れる楽しみは、橋を越えたところにある交差点での信号待ち・・

この辺り一帯は昔ながらの町工場が多く、そんな作業場の一角には道路に面した小さな窓があり、まるでスクリーンのように中では小さな2匹たちが毎日もの思いにふけっているのです。

511.JPG初めて出勤する日の朝、こんな意外な場所にたたずむ彼らを見つけ、たまらずにシャッターを切りました。6月21日の、まだ梅雨のさなかのことでした。

以来、私の心の中で彼らは「ぷーちゃん」と呼ばれています。

最初の日の朝は、私が前を通りかかった瞬間に、窓に両足をかけながら寝ている相方をとびこえて私の指をおいかけたり元気な様子だったのですが、仕事が終わってふたたびその場所を通る時には、私とおんなじように、ぷーちゃんたちもぐったりとしていました。

長雨のつづく暗い空をうらめしそうに見つめ、前足が完全にのびきった状態で、重たい頭をのっけてねそべる姿がなんともいえませんでした。私も雨に濡れながら、半袖で汗をかいて仕事をしていたので仕事開始早々風邪をひいたりしましたが、気持ちが負けると、もっと辛くなるのがわかっていたので、明るい服装で出勤し、症状が悪化しないようケアを徹底しました。

翌朝も、そのまた翌朝もいつも眠たそうにうなだれていたぷーちゃんたちでしたが、私が仕事に慣れてきた最近では彼らもちゃんと活動しているように見えます(笑)おとといはしっぽだけ表にむけて寝てたなぁ・・

☆。.*・'゜'・

仕事では、レセプションにレジがないので物販や宿泊代金の受け渡しはすべて手計算、そして料金システムの説明から、クレームや問い合わせへの対応もすべて英語です。チェックアウトと同時に延泊を申し出られたり、急な日程の変更など状況が常に変わるので、その都度ルームのステータスをチェックしてアベイラブルを調整する作業はパズルのようでもあります。

接客や計算、そして複数の作業を同時にこなすこともすべて、本屋でたくさん訓練を積み重ねたおかげで、慌てそうになる自分を抑えて、一つ一つ確認しながら落ち着いてやる意識がきちんと働くようになりました。

わからない状態のまま現場に放り込まれたことで、最初に説明されたことの意味をよく考えながら状況を判断して素早く動く態勢が身についてきた気がします。

本屋で色々な人の動きをみて、学ばせていただいたことと、お一人お一人の先輩方からいただいた言葉が自分自身の感覚を養い、少しずつ良い方向に伸びていっているんだな・・ということを日々実感しています。


「どっちの道を選んでもそれはすべて自分につながっているのだから」



支店のオープニングからずっと一緒だった女性から、退職した際にいただいた言葉は今、心の中で深く響いています。

毎月1日には、その時期に東京で行われているイベントを調べてボードに書いていく作業もあります。
東京シティガイド検定も、ここで生きてくるんだなぁと思い、さらなる勉強のために東京メトロで毎月発行されているパンフレットを集めたり、自分がかつてお客様のために積んでいたLonely Planet Tokyo
やHiragana Timesなどを8Fの方々からいただいた図書カードで買ったりしました。

PAP_0051.JPGこれから半年後、一年後に自分がどれだけ成長できているか楽しみです。

世界各国の人が東京でよい思い出をつくれるように快適な環境や、有益な情報を提供するのが今の仕事なので、色々な人の旅話を聞きながら、自分自身の人生のスケールも少しずつ大きく、具体的に描いていこうと思います。
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Me
HN:
沙月
年齢:
43
性別:
女性
誕生日:
1982/02/14
職業:
お休み中・・・
趣味:
写真・語学・ダイエット・料理
自己紹介:
生後3ヶ月の頃
母に抱かれながら
生まれた喜びを
懸命に伝えようとする声

我が家で大切に
保管されている
カセットテープには
そんな私の
「言葉」と「人」への
純粋な思いが
残されています

交換留学先の
オーストラリア

高校演劇の稽古場と
体育館の舞台

留学生たちと語り合った
外語学院のカフェテリア

母国語とは何かを
教えてくれた
日本語教師養成学校

身を削りながら
学費を稼ぎ出した
グランドホテル

20代を語る
全ての背景となった
駅前の洋書売場

大好きな隅田川の
ずっと先にあった
浅草のゲストハウス

そして

旅人達のターミナル・・


気がつくと
その学び舎で得た事は
すべて
外国の方々の笑顔に
繋がっていました

日本語を学びたいと
心から願う人たちの為に
どんな形でも
教える場を設け
共に学んで行く事が
私の夢です

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